「親」の意味・類語・対義語

「親」(おや)の意味・読み方を解説します。類語・対義語もあわせて確認できます。
親
おや
| 言葉 | 親 |
|---|---|
| 読み方 | おや |
| 意味 |
|
「親」の類語(同義語)・言い換え
「親」の別の言い方や言い換え、近い意味を持つ言葉の一覧です。
「親」の対義語(反対語)
- おや親

- こ子
※広義での対義語(反対語)も含まれます。
「親」で使われている漢字
「親」を含む故事・ことわざ・慣用句
親思う心にまさる親心(おやおもうこころにまさるおやごころ)
子どもが親を思う気持ちよりも、親の子どもに対する愛情のほうがより深いというたとえ。「親思う心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」という吉田松陰の辞世の歌から。
親が親なら子も子(おやがおやならこもこ)
親と子はよく似るものだということ。親がだめだと子どももだめだというように、悪いところが似た場合に多く使われる。
親が死んでも食休み(おやがしんでもしょくやすみ)
どんなに忙しくても食後の休憩は大切だということ。
親苦、子楽、孫乞食(おやく、こらく、まごこじき)
一代目が苦労して蓄えた身代は、二代目が安楽に使い減らし、三代目には何も残らないということ。 築いた者の辛苦を知らない代が続くうちに、家産は細っていくという見方。
親子の仲でも金銭は他人(おやこのなかでもきんせんはたにん)
金銭に関しては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)
親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。
親ずれより友ずれ(おやずれよりともずれ)
家の中で受ける躾よりも、外で付き合う相手のほうが人となりを作っていく。 「擦れる」は、揉まれて世慣れること。
親と月夜はいつも良い(おやとつきよはいつもよい)
親がそばに居る時は何の不安もなく、明るい月の夜は安心して歩けるので、どちらもありがたいということ。
親に似ぬ子は鬼子(おやににぬこはおにご)
子どもは当然親に似るものであり、親に似ない子はいないということ。 親に似ない子は人間の子ではなく鬼の子であるとの意から。
親に目なし(おやにめなし)
親はわが子のことになると、かわいさのあまり正しい判断が出来なくなるということ。
親の甘茶が毒となる(おやのあまちゃがどくとなる)
親が子どもを甘やかして育てると、その子のためにならず、むしろ毒になるということ。
親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない(おやのいけんとなすびのはなはせんにひとつもむだはない)
咲いた花がひとつ残らず実を結ぶ作物と同じで、親が子に向ける言葉には外れがない。 空振りに終わる一言は出てこない。
親の意見と冷や酒は後で利く(おやのいけんとひやざけはあとできく)
言われたその場では耳を素通りしていくが、時を置いてから胸に落ちてくる。 冷や酒が遅れて回るのと同じ道筋をたどる。
親の因果が子に報う(おやのいんががこにむくう)
親の悪行の結果、罪のない子どもが災いを受けること。
親の恩は子で送る(おやのおんはこでおくる)
わが子をりっぱに育てることで、親から受けた恩を返すということ。「送る」は恩に報いるという意。
親の恩より義理の恩(おやのおんよりぎりのおん)
親から受けた恩より、恩義を受けた人に報いるほうが先決だということ。
親の心、子知らず(おやのこころ、こしらず)
子どもを思う親の深い愛情を知らず、子どもは勝手気ままなことをするということ。
親の脛を齧る(おやのすねをかじる)
子どもが独立した生活が出来ずに親に養われて生活すること。
親の光は七光り(おやのひかりはななひかり)
当人の力量とは関わりなく、親の名前のほうが先に通る。世間の扱いもそこに引きずられて、実際より厚くなる。
苦しい時には親を出せ(くるしいときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を口実に使うのがいいということ。
生みの親より育ての親(うみのおやよりそだてのおや)
生んでくれた親より、育ててくれた親に愛情も恩義も感じるということ。
我が子自慢は親の常(わがこじまんはおやのつね)
親は誰でも我が子を自慢したがるということ。
金は命の親、命の敵(かねはいのちのおや、いのちのかたき)
金によって命を助けられることもあれば、逆に命を落とすこともあるというたとえ。
悪い親も良い子を望む(わるいおやもよいこをのぞむ)
どんな悪人でも、我が子は良い人間であってほしいと望むということ。
湯上りは親でも惚れる(ゆあがりはおやでもほれる)
女性の湯上り姿は艶やかで誰でも心ひかれるということ。 「おじ坊主」は、「伯父(叔父)や坊主も」という解釈と「おじの坊主」という解釈がある。 「湯上りは親でも惚れる」「洗い髪にはおじ坊主が惚れる」などともいう。
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親の値打ちは、こちらが同じ年恰好になってようやく腑に落ちる。腑に落ちたころには相手はもういない——その食い違いを嘆いた川柳が、そのままことわざになった。
後の親が親(のちのおやがおや)
生んでくれた親より、育ててくれた親を敬い孝行せよという教え。
這えば立て、立てば歩めの親心(はえばたて、たてばあゆめのおやごころ)
子どものすこやかな成長を楽しみに待つ親の気持ちを言ったことば。
いつまでもあると思うな親と金(いつまでもあるとおもうなおやとかね)
独立と倹約を心がけよという戒めのことば。 親はいつまでも面倒見てくれるわけでもなく、金も使えばなくなることから。
親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)
親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。
親の欲目(おやのよくめ)
わが子かわいさのあまり、親が自分の子を実際より高く評価しようとすること。
親は親、子は子(おやはおや、こはこ)
親子でもそれぞれが別の人間であり、性質や才能が同じとは限らないということ。
親馬鹿子馬鹿(おやばかこばか)
目が曇った親は子の至らなさを見落とし、子のほうもそれを当て込んで甘えたままでいる。 互いに引き下げ合ったまま、双方とも気づかない。
親はなくとも子は育つ(おやはなくともこはそだつ)
親がいなくても、子どもはなんとか成長していく。世の中は、そう心配することもないというたとえ。
親は木綿着る、子は錦着る(おやはもめんきる、こはにしききる)
親は一生懸命働き質素に暮らして財産を築き、子はその苦労を知らずにぜいたくをして、親の財産を浪費するというたとえ。
親を睨むと鮃になる(おやをにらむとひらめになる)
親に反抗したりおろそかに扱ったりしてはいけないという戒めの言葉。 親を睨んだりすると、ばちが当たって鮃(ひらめ)のように目がかたよってしまうとの意から。 「親を睨むと鰈(かれい)になる」ともいう。
寝る子は賢い親助け(ねるこはかしこいおやだすけ)
泣かずによく眠る子どもは、手がかからないので親にとってありがたいということ。
打たれても親の杖(うたれてもおやのつえ)
親が子を杖で打つ叱り方も、慈愛がこもっているので子は感謝すべきだということ。
打つも撫でるも親の恩(うつもなでるもおやのおん)
子を叱ってぶつのも、ほめて撫でるのも、すべて親の愛情のあらわれだということ。
馬鹿を見たくば親を見よ(ばかをみたくばおやをみよ)
馬鹿とは何か知りたければ、親を見よということ。 親馬鹿こそ馬鹿の見本のようなものであるとの意から。
大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然(おおやといえばおやもどうぜん、たなこといえばこもどうぜん)
家を貸す側と借りる側は、ただの貸し借りの間柄ではなく親子も同然の付き合いをするものだということ。 「店子」は借家を借りて住む人。江戸の裏長屋では、大家が店子の身元を引き受け、諍いの仲裁から縁組の世話まで引き受けた。その結びつきの深さを言ったもの。
叶わぬ時には親を出せ(かなわぬときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を引き合いに出すことで口実を作れということ。
子供の喧嘩に親が出る(こどものけんかにおやがでる)
子ども同士の喧嘩に親が口出しして、自分の子どもの味方をする愚かさを非難する言葉。また、大人気ないふるまいや余計な干渉をするたとえ。
この親にしてこの子あり(このおやにしてこのこあり)
親の気質は、そのまま子の振る舞いに写って出る。 子を見て育てた側の人柄まで言い当てるときに使い、褒めるときにも呆れるときにも向けられる。
子の心、親知らず(このこころ、おやしらず)
親はとかく、子どもの本当の心や考えを察知することは出来ないということ。
子ほど喜ばせにくいものはなく親ほど喜ばせやすいものはない(こほどよろこばせにくいものはなくおやほどよろこばせやすいものはない)
親の愛情を当然と思っている子どもを喜ばせるのは難しいが、親は子どものわずかな孝養でも大喜びするということ。
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず)
子どもの長所や短所をいちばんよく知っているのは親であり、親に及ぶものはないということ。
子を持って知る親の恩(こをもってしるおやのおん)
わが子を育てる側に回ってはじめて、かつて自分が受けていたものの重さに気づくということ。 手のかかりようも掛かりの重さも、その立場に立たなければ見えてこない。
立ってる者は親でも使え(たってるものはおやでもつかえ)
急ぎの時は、たとえ親でも、近くに立っている人を使えということ。座っている人間が、立っている人間にものを頼む時の言い訳にいう言葉。
溜め息をすれば親の寿命が縮む(ためいきをすればおやのじゅみょうがちぢむ)
子どもがため息をつけば、親は寿命が縮むほど心配するから、親にそんな態度を見せてはいけないということ。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子は咲いた分だけ実がつく。 親が口にする戒めもそれと同じで、聞き流してよいものは一つも混じっていない。
腹が立つなら親を思い出せ(はらがたつならおやをおもいだせ)
腹が立って怒りそうになったときには親のことを思い浮かべると、問題を起こして心配をかけたくないという気持ちになって、怒りをしずめることができるということ。 「腹が立つなら親を思い出すが薬」ともいう。
冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)
若いうちに軽く受け流した言葉ほど、年を重ねてから重みを増してくる。 すぐには効かず、あとから効いてくるものの代表として冷や酒と並べた。
竹の子の親勝り(たけのこのおやまさり)
(たけのこはすぐに親竹と同じ、または親竹以上の高さになることから)子どもの成長が早く、すぐに親を凌ぐようになることのたとえ。または、子どもが親よりもすぐれていることのたとえ。 「竹の子」は「筍」とも書く。
命の親(いのちのおや)
命を救ってくれた恩人。
親の顔が見たい(おやのかおがみたい)
よその子の行動や態度の悪さに、驚きあきれて発する言葉。
他人の飯を食わねば親の恩は知れぬ(たにんのめしをくわねばおやのおんはしれぬ)
親元を離れ、他人と暮らし、世間で苦労してみなければ、親の恩は知れないということ。
子養わんと欲すれども親待たず(こやしなわんとほっすれどもおやまたず)
子に親を養う力がついた頃には、その親はすでに亡い。孝行が間に合わなかった嘆きをいう。
親の打つ拳より他人の摩るが痛い(おやのうつこぶしよりたにんのさするがいたい)
手荒に扱われても、そこに親の情があるうちは身にこたえない。 よそから伸びてくる手がどれほど柔らかでも、裏が空であれば痛みだけが残る。
子にすることを親にせよ(こにすることをおやにせよ)
子をいたわるときの心を、そのまま親へも向けよ。人の情は下へばかり流れて、上へはなかなか返ってこない。 血のつながらない親との間柄でよく使う。
