「人」の意味・数え方・類語

「人」(ひと)の意味・読み方を解説します。数え方・類語もあわせて確認できます。
人
ひと
| 言葉 | 人 |
|---|---|
| 読み方 | ひと |
| 意味 |
|
「人」の数え方
| 数え方 |
人(にん)一人(ひとり) 名(めい)一名(いちめい) 方(かた)一方(ひとかた) 氏(し)一氏(いっし) |
|---|
「人」の類語(同義語)・言い換え
「人」の別の言い方や言い換え、近い意味を持つ言葉の一覧です。
「人」で使われている漢字
「人」を含む四字熟語
水鏡之人(すいきょうのひと)
人の手本になるような、理解力や判断力に優れている賢い人のこと。 または、事実のままに物事を観望できる公平な人のこと。 水鏡のように清廉な人物。 「水鏡」は本当の姿をそのまま映す鏡のように、静かで曇りのない水面という意味。
意中之人(いちゅうのひと)
心の中でひそかに思い定めている人。恋しく慕う相手、また結婚したいと願う異性を指すことが多い。 転じて、ある役目や地位にふさわしいと内心で見込んでいる人物についてもいう。 「意中」は心の内、胸に抱いている思いのこと。東晋の詩人陶潜が、学問上の考えを異にして疎遠となった三人の友に贈った詩の中で、それでも心に懸かる相手を「意中の人」と詠んだことに基づく言い回し。
無累之人(むるいのひと)
なにものにも縛られない、自由な心を持っている人のこと。 「累」はわずらわしさという意味。 世間のわずらわしい出来事から逃れて、関わらない人ということから。
当路之人(とうろのひと)
重要な職務についていて、権力のある人のこと。 「当路」は交通の重要な場所にいるという意味から、重要な地位について権力を持っていること。
毋望之人(ぶぼうのひと)
窮地に陥ったときに、求めなくても助けてくれる人のこと。思わぬ助け舟。 「毋」は否定の意味の言葉。 「毋望」は予想もしていないという意味。
飲食之人(いんしょくのひと)
飲んだり食べたりすることだけを楽しみにしている人のこと。 本能にだけ従って生きている人のことをいう。
渦中之人(かちゅうのひと)
問題に巻き込まれている人。 または、その中心にいる人。 「渦中」は混乱している状況の中。
非常之人(ひじょうのひと)
二つとないほどにすぐれた能力をもった人のこと。 「非常」は普通とは違う、一際すぐれていること。
人之安宅(ひとのあんたく)
その人に備わっている徳のたとえ。 「安宅」は人が落ち着いて住める場所のこと。 徳を備えた人は誰かに襲われることがないので、徳は人を安全に住まわせる場所ということから。
斗筲之人(としょうのひと)
器量の小さな人のたとえ。 「斗」は一斗の量が入る升。 「筲」は一斗二升の量が入る竹の籠。 どちらも入る量が少ない器のことから。 「斗筲之器」「斗筲之材」「斗筲之子」ともいう。
眼中之人(がんちゅうのひと)
心の中から消えることなく、いつも思っている人。または、非常に親しい関係の友人。
「人」を含む故事・ことわざ・慣用句
英雄、人を欺く(えいゆう、ひとをあざむく)
英雄といわれるほどの人物は才知にすぐれているので、凡人が考えつかないような策略を用いて人を欺くということ。
地位は人を作る(ちいはひとをつくる)
それなりの地位に就くと、その地位にふさわしい人間に成長していくということ。
杖に縋るとも人に縋るな(つえにすがるともひとにすがるな)
むやみに人をあてにするなといういましめ。
碌でなしが人の陰言(ろくでなしがひとのかげごと)
役に立たない者が他人の悪口を言うこと。
歳月、人を待たず(さいげつ、ひとをまたず)
時は人の都合などおかまいなしに刻々と過ぎ去っていくので、時間を無駄にせず大事に過ごすべきであるということ。 「光陰人を待たず」「時は人を待たず」ともいう。
最後は人の嗜み(さいごはひとのたしなみ)
人は死ぬときにこそ、日頃の心がけがもっともよく現れるということ。
先んずれば人を制す(さきんずればひとをせいす)
人より先に事を行えば、有利な立場に立ち相手を制することができるということ。
東西南北の人(とうざいなんぼくのひと)
あちらこちらをさまよい歩き、住所が定まらないひと。
人を使うは苦を使う(ひとをつかうはくをつかう)
上に立つ側の一日は、下の者の都合に合わせて動く時間で埋まっていく。 指図する立場のはずが、気づけば指図される側と変わらなくなる。
名人は人を謗らず(めいじんはひとをそしらず)
名人は人の欠点を悪く言うようなことはしないということ。
花は桜木、人は武士(はなはさくらぎ、ひとはぶし)
花は桜が最も美しく、人は武士が一番だということ。桜がぱっと咲いて散るように、武士の死に際も潔いことから。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと)
子どものころは並外れた秀才と思われていた人も、成長すれば平凡な人間になることが多いということ。
罪を憎んで人を憎まず(つみをにくんでひとをにくまず)
向かうべき先は為された行いのほうであって、それを為した当人までひとくくりにしない。 なぜそこへ至ったかの事情に目を配れ、と孔子が刑を扱う側の心得に挙げた。
人の花は赤い(ひとのはなはあかい)
他人の物はなんでもよく見えてうらやましく思えるというたとえ。 隣の家に咲いている花は、自分の家の花より赤く見えるという意味から。
馬には乗ってみよ人には添うてみよ(うまにはのってみよひとにはそうてみよ)
何事も経験してみなければわからないということ。 いい馬かどうかはその馬に乗ってみないとわからないし、人間の善し悪しも付き合ってみなければわからないことから。 「人には添うてみよ馬には乗ってみよ」ともいう。
我が面白の人泣かせ(わがおもしろのひとなかせ)
自分が面白くて楽しんでいることが、人に迷惑をかけていることがあるということ。
我が好きを人に振る舞う(わがすきをひとにふるまう)
相手の好き嫌いを考えずに、自分の好みを人に押し付けること。
我が身の事は人に問え(わがみのことはひとにとえ)
自分の短所やしくじりは当人の目に入らないものだから、まわりに尋ねて直すのがよいということ。 わが事となると見立てが狂いやすいので、人の目を借りよという教え。
我が身を立てんとせばまず人を立てよ(わがみをたてんとせばまずひとをたてよ)
自分の身を立てたいと望むなら、まず人を引き立てるように心がけよということ。
我が身を抓って人の痛さを知れ(わがみをつねってひとのいたさをしれ)
自分の身に引き比べて、人の苦しみや痛みを思いやることが大切だということ。
笑いは人の薬(わらいはひとのくすり)
適度な笑いは心や身体に良いということ。
人と屏風は直ぐには立たぬ(ひととびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、人も真っ正直なだけでは世の中を渡っていくことはできないということ。
器用貧乏人宝(きようびんぼうひとだから)
何でもこなせるので、あちこちから当てにされて手が空かない。 当人は一つの看板を立てられないまま、実入りの薄いところに留まる。
無い物食おうが人の癖(ないものくおうがひとのくせ)
十分にある物は欲しがらず、ないとわかっている物をほしがること。わがままを言うこと。 「無い物食おうが人の癖」ともいう。
農は人真似(のうはひとまね)
農業は人のやる事を真似していれば人並みの収穫はあるということ。
蠟燭は身を減らして人を照らす(ろうそくはみをへらしてひとをてらす)
わが身を削って、その分だけ周りを明るくすること。細っていくのは自分のほうで、明かりに与るのはいつも別の誰かである。
ローマにいる時はローマの人がするとおりにせよ(ろーまにいるときはろーまのひとがするとおりにせよ)
移り住んだ先には、その土地なりの決まりごとがある。よそのやり方を通そうとせず、まわりに合わせて暮らせという教え。 英語の When in Rome do as the Romans do. をそのまま日本語に置き換えた言い方。
無累の人(むるいのひと)
あらゆる物欲を超越し、何事にもわずらわされることのない人。「無累」はわずらわすものがない意。
人の牛蒡で法事する(ひとのごぼうでほうじする)
人の物を利用して自分の義理を果たすことのたとえ。 他人が持ってきた牛蒡を使って精進料理を作り、法事のもてなしをすることから。
人の褌で相撲を取る(ひとのふんどしですもうをとる)
人の物を利用して自分の利益を図ることのたとえ。 自分の褌を使わず、人の褌を借りて相撲をとることから。
人一寸(ひといっすん)
身長差は、少しの違いでもかなり違っているように見えるということ。
人の口に戸は立てられぬ(ひとのくちにとはたてられぬ)
世間の噂話は止めることができないということ。 「立てる」は閉めることで、「閉てる」とも書く。 「開いた口に戸は立てられぬ」「世間の口に戸は立てられぬ」ともいう。
人、木石に非ず(ひと、ぼくせきにあらず)
感情を持たない木や石とは違い、人は喜怒哀楽をさまざまな形で表す感情豊かな動物であるということ。 「人は岩木に非ず」ともいう。
人ある中に人なし(ひとあるなかにひとなし)
世の中に人間はたくさんいるが、役に立つ立派な人間はなかなかいないということ。
人食い馬にも合い口(ひとくいうまにもあいくち)
手に負えないと言われる相手でも、この人の前でだけは牙を収める、という取り合わせが必ずある。 人に噛みつく馬にも、なぜか背を許す者がいる。
人屑と縄屑は余らぬ(ひとくずとなわくずはあまらぬ)
縄の切れ端でも何かの役に立つように、つまらない人間のようでも、その能力に応じて使い道があるということ。
人肥えたるが故に貴からず(ひとこえたるがゆえにたっとからず)
人間の価値は、外見ではなく内面で決まるということ。見かけより実質が重要であるということのたとえ。
人の棚卸しをする(ひとのたなおろしをする)
人の欠点などを一つ一つ数え上げて批判すること。 「棚卸し」は、決算などのため、商品や原材料などの数量を確かめて評価すること。
人の過ち我が幸せ(ひとのあやまちわがしあわせ)
口には出せないが、他人の失敗は、自分には幸せなのだということ。
人の意見は四十まで(ひとのいけんはしじゅうまで)
40歳を過ぎた人間に意見をしても効果がないということ。また、それくらいの年齢になると、本人の考えを尊重すべきであるということ。
人の痛いのは三年でも辛抱する(ひとのいたいのはさんねんでもしんぼうする)
他人の苦痛は自分とは無関係だから平気であるということ。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
人の一寸、我が一尺(ひとのいっすん、わがいっしゃく)
人の欠点は少しのことでも目につくが、自分の欠点はどんなに大きくても気がつかないというたとえ。
人の初言は咎めぬもの(ひとのういごとはとがめぬもの)
初恋に悩む人間の言葉は、たとえ誤りがあっても、咎めたりしないものだということ。「初言」は初めて言う言葉。転じて、初めて恋人に語りかける言葉。
人の噓は我が嘘(ひとのうそはわがうそ)
人の受け売りで話をすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたことになる。人の話を簡単に受け売りするなということ。
人の生まるるや憂いと倶に生まる(ひとのうまるるやうれいとともにうまる)
人間は生まれる時から心配ごとがつきまとい、一生心配事の連続であるということ。
人の噂は倍になる(ひとのうわさはばいになる)
噂話は、事実よりずっと大げさに伝わるということ。
人の噂も七十五日(ひとのうわさもしちじゅうごにち)
世間の噂は長く続かず、やがて忘れられるということ。 噂話も75日もすれば治まり、忘れられてしまうとの意から。
人の踊る時は踊れ(ひとのおどるときはおどれ)
みんなが何かする時は自分も一緒にやるほうがよいということ。
人の苦楽は壁一重(ひとのくらくはかべひとえ)
壁一つ隔てただけで隣の様子がわからないように、他人の苦しみや楽しみは他人事で自分とはなんの係わりもないということ。
人の心は面の如し(ひとのこころはおもてのごとし)
人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。
人の心は九分十分(ひとのこころはくぶじゅうぶ)
人間の考えることはどれも似たようなもので、大きな差はないということ。 「人の心は九合十合」「世の中の人の心は九合十合」ともいう。
人の事は我の事(ひとのことはわれのこと)
人ごとと思っている他人の不幸も、いつか自分の身におこらないとも限らないということ。
人の事より我が事(ひとのことよりわがこと)
人の世話を焼くより、まず自分の事をしっかりせよということ。
人の子の死んだより我が子の転けた(ひとのこのしんだよりわがこのこけた)
他人の子どもが死んだことよりも、自分の子が転んだことのほうが重要だということ。我が子の大事さのたとえ。また、自分の利益が一番大事ということのたとえ。
人の七難より我が十難(ひとのしちなんよりわがじゅうなん)
人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないということ。 「難」は欠点のこと。 「人の七難より我が八難」「人の七難は見ゆれど我が十難は見えず」ともいう。
人の十難より我が一難(ひとのじゅうなんよりわがいちなん)
人の身に起こった多くの災難より、自分の身に起きた小さな災難のほうが大ごとだということ。
人の空言は我が空言(ひとのそらごとはわがそらごと)
他人の話を受け売りすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたのと同じことになる。人の話を簡単に受け売りするなという戒めの言葉。「空言」は何の根拠もない噂のこと。
人の宝を数える(ひとのたからをかぞえる)
自分には何の得にもならないことのたとえ。 「他人の宝を数える」「隣の宝を数える」「隣の家の宝を数える」ともいう。
人は見目よりただ心(ひとはみめよりただこころ)
人は外見の美しさよりも、心の美しいことのほうが大切だということ。 「見目」は見た様子、顔立ちのこと。 単に「見目より心」ともいう。
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
知る人ぞ知る(しるひとぞしる)
世間に広く名が通っているのではないが、分かる者のあいだでは確かな評判を持っている。
猿の人真似(さるのひとまね)
猿のようによく考えもしないで、人の真似をすることをあざけっていう言葉。
地獄にも知る人(じごくにもしるひと)
地獄のようなひどい所でも知り合いはできるものだということ。また、遠くの知らない土地に行っても知人に巡りあえるものだということ。 「冥土にも知る人」ともいう。
鬼も頼めば人食わず(おにもたのめばひとくわず)
わざわざ頭を下げて願い出ると、相手はかえって渋りだす。普段は進んでやっていることでさえ、そう出られると急に構えてしまう。 また、どれほど情を持たない相手でも、心を尽くして持ちかければ無下にはしないという、逆の意でも使う。 「頼めば鬼も人食わず」ともいう。
己の欲する所を人に施せ(おのれのほっするところをひとにほどこせ)
人からこうしてほしいと望むことを、そのまま人に向かって行いなさいという教え。 自分の望みを物差しにして相手への振る舞いを決めよ、と説いたもの。裏返して「己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」と戒める言い方もある。
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ)
自分が他人からされたくないと思うことは、決して他人にしてはならないということ。
己を責めて人を責めるな(おのれをせめてひとをせめるな)
自分の責任でさせたことを、人のせいにするなということ。徳川家康の遺訓から。
己を以て人を量る(おのれをもってひとをはかる)
手元にある物差しは自分の分しかないので、人の中身までそれを当てて測ってしまう。 相手の器を、こちらの寸法で決めつけることになる。
犬は人につき猫は家につく(いぬはひとにつきねこはいえにつく)
引っ越す時、犬は飼い主について行くが猫は家から離れようとしないということ。
狸が人に化かされる(たぬきがひとにばかされる)
相手を甘く見て油断したために、だまそうとした相手から逆にだまされることのたとえ。 人をだますと言われている狸が、人からだまされてしまうことから。
鞍上人なく、鞍下馬なし(あんじょうひとなく、あんかうまなし)
乗り手が巧みに馬を乗り回し、乗り手と馬が一体となって見えるさま。乗り手と馬の呼吸が合い、鞍の上の人と鞍の下の馬が渾然一体となっている意から。
昨日は人の身、今日は我が身(きのうはひとのみ、きょうはわがみ)
人の運命は予測しがたく、他人にふりかかった災難が、いつ自分にもふりかかるかわからないということ。
盗人にも三分の理(ぬすびとにもさんぶのり)
どんなことでも、こじつければ理屈はつけられるということ。 盗みは悪いことだが、それを正当化する三分ほどの理屈があるとの意から。 「泥棒にも三分の道理」「盗人にも一理屈」ともいう。
二八余りは人の瀬越し(にはちあまりはひとのせごし)
十六歳頃は、人生を左右する大事な時期であるということ。「二八」は十六歳、「瀬越し」は重大な時期のこと。
鯛も一人は旨からず(たいもひとりはうまからず)
どんなにおいしいものでも、一人で食べるのではおいしくない。大勢で食べる食事のほうがおいしいということ。 「一人」は「独り」とも書く。
天を怨みず人を尤めず(てんをうらみずひとをとがめず)
自分の身がどんなに不遇でも、天を恨んだり人をとがめたりしないで、自己の人格形成に努めるべきであるということ。
寝ていて人を起こすな(ねていてひとをおこすな)
人を働かせようと思うなら、まず自分が率先して模範を示せということ。 横着して自分は寝たままで人を起こすようなことはするなとの意から。
魚の目に水見えず、人の目に空見えず(うおのめにみずみえず、ひとのめにそらみえず)
自分の身近なものの価値には気がつきにくいことのたとえ。
測り難きは人心(はかりがたきはひとごころ)
人の心ほど理解しがたいものはないということ。また、人の心が変わりやすく頼りにならないことにもいう。
白玉楼中の人となる(はくぎょくろうちゅうのひととなる)
文人が死ぬことのたとえ。 「白玉楼」は文人が死後に行くといわれる白玉造りの高楼のことで、その中の人となるとの意から。
闘う雀、人を恐れず(たたかうすずめ、ひとをおそれず)
何かに無我夢中になっている者は、思いがけない力を発揮するというたとえ。 雀のような弱い鳥でも戦っている時は、人間が近づいても逃げようとしないとの意から。 「闘雀人を恐れず」ともいう。
一人口は食えぬが二人口は食える(ひとりぐちはくえぬがふたりぐちはくえる)
一人で気ままにやっているうちは金が残らないのに、所帯を持つと不思議と回りはじめる。 二人になれば、まかない方も出方も締まるからである。 「二人口は過ごせるが一人口は過ごせぬ」ともいう。
駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人(かごにのるひとかつぐひと、そのまたわらじをつくるひと)
人の生き方は、貧富の差や境遇によってさまざまであるということ。また、そのさまざまな人のつながりで、世の中はうまく成り立っているということ。 世の中には駕籠に乗る身分の人もいれば、その駕籠を担ぐひともいる。また、駕籠を担ぐひとの履く草鞋を作る人もいる。 人の世は持ちつ持たれつであるとの意から。
餓えて死ぬは一人、飲んで死ぬは千人(かつえてしぬはひとり、のんでしぬはせんにん)
餓えて死ぬ人間は少ないが、酒の飲みすぎが原因で死ぬ人間は非常に多いということ。
金請けするとも人請けするな(かねうけするともひとうけするな)
借金の保証人になっても、身元保証人にはなるなということ。人の保証人になると厄介なことが多いことをいう。
彼も人なり、予も人なり(かれもひとなり、われもひとなり)
彼も自分と同じ人間なのだから、彼にできることが自分にできないはずはないということ。 努力を怠らなければ、他人にできることは何でもできるということ。
眼中人なし(がんちゅうひとなし)
他人のことは考えず、思うままに振る舞うこと。人を人とも思わないこと。
鬼面人を威す(きめんひとをおどす)
身にまとった形相ひとつで、相手を後ずさりさせようとする。中身は伴っていないのに構えだけを大きく張り、人を寄せつけまいとする手口をさす。
薬師は人を殺せど薬人を殺さず(くすしはひとをころせどくすりひとをころさず)
災いを招くのは物の側ではない。それを扱う側の腕である。同じ一服が命を救いもし縮めもするのは、匙を持つ人の見立て一つで決まる。 「薬師」は医者の古い呼び名。
小姑一人は鬼千匹にむかう(こじゅうとひとりはおにせんびきにむかう)
嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほどやっかいで、扱いにくい存在であるということ。「むかう」は、匹敵するという意。
財布の底と心の底は人に見せるな(さいふのそことこころのそこはひとにみせるな)
うまく世間を渡るためには、自分の財産や心のうちを他人に知られてはいけないということ。
三人旅の一人乞食(さんにんたびのひとりこじき)
三人で旅をする時には、その中の一人が仲間はずれになりがちだということ。また、三人で事をすると、貧乏くじをひいて損をすることが多いということ。
天知る地知る我知る人知る(てんしるちしるわれしるひとしる)
悪事はいつか必ず露見するということ。 後漢の楊震(ようしん)が賄賂(わいろ)の受け取りを断った時の言葉。 誰も知るまいと思っても、隠し事は天の神様も、地の神様も、自分も、それを仕掛けたあなたも知っているとの意から。 「四知」ともいう。
七度尋ねて人を疑え(ななたびたずねてひとをうたがえ)
見当たらないと思ったら、まず自分の手落ちのほうを探す。 人に目を向けるのは、隅から隅まで当たり尽くしてからでよい。
蛇は寸にして人を呑む(じゃはすんにしてひとをのむ)
まだ手のひらに乗るほどの太さでも、身の丈を超える相手を丸ごと収める構えでいる。 のちに名を成す者は、小さいうちから並外れた押しの強さを見せるという。
舜も人なり吾もまた人なり(しゅんもひとなりわれもまたひとなり)
仰ぎ見る相手も、もとは自分と変わらぬ体ひとつで始めている。 隔たりを作ったのは生まれではなく、そこまでの積み重ねのほうである。 「舜」は、古代中国で理想の君主とされた伝説上の帝。 「舜も人なり我もまた人なり」ともいう。
人を射んとせば先ず馬を射よ(ひとをいんとせばまずうまをいよ)
狙う相手そのものに手を出す前に、その人を立たせているものを先に落とす。 支えを失えば、当人はもう動けない。 「将を射んとせば先ず馬を射よ」「人を射んとせば先ず馬を射よ」「大将を射んとせば先ず馬を射よ」ともいう。
知らずば人に問え(しらずばひとにとえ)
分からないまま抱え込まず、心得のある人に口を開いて尋ねよ。 取り繕って通すより、その場で頭を下げたほうが早い。
寸鉄人を刺す(すんてつひとをさす)
短く鋭い言葉で、相手の急所を突くたとえ。 「寸鉄」は、小さな刃物。転じて、短くて深い意味のある言葉。 「寸鉄人を殺す」ともいう。
人は善悪の友による(ひとはぜんあくのともによる)
人はつきあう友人次第で、善くも悪くもなるということ。 「人は善悪の友による」ともいう。
曽参、人を殺す(そうしん、ひとをころす)
嘘も繰り返して言われると、それを信じてしまうというたとえ。 「曽参」は親孝行で名高い孔子の弟子。 ある時、「曽参が人を殺した」との誤報を曽参の母に告げたが信じなかった。しかし、三人から同じ事を告げられた時、ついに曽参の母は織りかけの機をほうり投げ走り出したという故事から。
損せぬ人に儲けなし(そんせぬひとにもうけなし)
持ち出しをまったく出さずに通そうとする人のところへは、大きく返ってくる話も来ない。 減る覚悟のない金は、増えもしない。
竹と人の心の直ぐなのは少ない(たけとひとのこころのすぐなのはすくない)
竹は意外に真っ直ぐなものは少なく、人も心が曲がらず正直な者は少ないということ。
天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず(てんのときはちのりにしかず、ちのりはひとのわにしかず)
戦いにおいて、いかに天候や気候の条件が良くても、地理的条件の有利さには及ばない。 その地理的な有利さも団結した人々の力には及ばないということ。
突っかけ者の人もたれ(つっかけもののひともたれ)
「突っかけ者」は、なすべきことを放り出して人に頼ってばかりいる者のこと。 その手の者は何かにつけて他人の肩へ寄りかかり、自分では一歩も動こうとしないということ。
天道、人を殺さず(てんどう、ひとをころさず)
天は人を見捨てるような無慈悲なことはしないということ。
天に口なし人を以て言わしむ(てんにくちなしひとをもっていわしむ)
誰が言い出したともなく世に行き渡った評判は、当人たちの思惑を越えたところから出ている。そこには相応の理由があるとみて、軽んじてはならないとする。 また、伏せておいたはずの事柄が、いつしか人づてに広まる例にも当てはめる。
天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず(てんはひとのうえにひとをつくらず、ひとのしたにひとをつくらず)
人間は生まれながらに平等であり、身分の上下や貴賎などの差別はないということ。
虎は死して皮を留め、人は死して名を残す(とらはししてかわをとどめ、ひとはししてなをのこす)
虎は死後立派な皮を残して珍重され、人は死後その功績により名声が語り継がれるということ。 「虎」は「豹」、「留め・留む」は「残し・残す」ともいう。
情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)
他人に親切にすれば、巡り巡って自分に返ってくるということ。
盗みする子は憎からで縄掛くる人が恨めしい(ぬすみするこはにくからでなわかくるひとがうらめしい)
悪事を働いたのは我が子なのに、腹が立つのは取り押さえた側のほうへ向く。 情に引かれると、筋の通し方まで裏返る。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず(ねんねんさいさいはなあいにたり、さいさいねんねんひとおなじからず)
花は年ごとに変わることなく咲くが、人の境遇は年ごとに変化していく。 自然が変わらないのに対して、人の世ははかなく移りやすいことのたとえ。
花一時、人一盛り(はないっとき、ひとひとさかり)
花が咲き誇るのもほんの一時であるように、人も盛んな時はごく短い一時期に過ぎないということ。
人こそ人の鏡(ひとこそひとのかがみ)
他人は自分の姿を映す鏡のようなものであるから、他人の言動を見て自分の行いを正す手本にせよということ。
人事言わば筵敷け(ひとごといわばむしろしけ)
噂をすれば、その当人が現れることがよくあるから、その人の席を用意しておいたほうがいいということ。軽々しく噂話をするものではないという戒めの言葉。
人盛んにして神祟らず(ひとさかんにしてかみたたらず)
人の運勢が盛んな時は、神仏でもこれをとどめることが出来ないということ。
人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む(ひとさけをのむ、さけさけをのむ、さけひとをのむ)
酒の飲み始めは人に自制する心があるが、そのうちに惰性で酒を飲むようになり、やがては酒に飲まれて乱れてしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒めの言葉。
人衆ければ則ち狼を食らう(ひとおおければすなわちおおかみをくらう)
多数の力が強大であることのたとえ。 人数が多ければ、一人では到底勝てない狼をも倒して食ってしまうとの意から。
人衆ければ天に勝つ(ひとおおければてんにかつ)
人の勢力が強い時は、道理に背いても、一時的には天の理に勝つこともあるということ。
人と入れ物は有り合わせ(ひとといれものはありあわせ)
人と器物は多いほうが便利だが、たとえ少なくてもうまく使えばなんとかなるということ。 「人と入れ物は有り次第」ともいう。
人通りに草生えず(ひとどおりにくさはえず)
日ごと手に取っているものは鈍らない。しまい込んで動かさずにおくと、かえって早く傷む。
人に勝たんと欲する者は必ず先ず自ら勝つ(ひとにかたんとほっするものはかならずまずみずからかつ)
人に勝とうと思うなら、まず自分自身の色々な欲望に打ち勝つ必要があるということ。
人に七癖、我が身に八癖(ひとにななくせ、わがみにやくせ)
他人の癖は目につきやすいが、自分の癖にはなかなか気がつかないから自戒せよということ。
人には飽かぬが病に飽く(ひとにはあかぬがやまいにあく)
長わずらいの病人が、看病する人や周囲の人から嫌がられることをいう言葉。病人に飽きたわけではないが、病気に飽き飽きしてしまったということ。
人に一癖(ひとにひとくせ)
どんな人間でも、必ず一つぐらいは癖があるということ。
人に施しては慎みて念うこと勿れ(ひとにほどこしてはつつしみておもうことなかれ)
手を貸した側は、貸したことを胸に留めずにおく。 覚えているかぎり、どこかで相手に返礼を求める気持ちがにじんでしまう。
人の頼まぬ経を読む(ひとのたのまぬきょうをよむ)
頼まれもしないのによけいな手出しをするたとえ。ひとの迷惑も考えずにでしゃばるたとえ。
人の情けは世にある時(ひとのなさけはよにあるとき)
世間の人が好意を示してくれるのは、こちらの羽振りがよく栄えている間だけで、落ち目になると誰も見向きもしないということ。
人の女房と枯れ木の枝ぶり(ひとのにょうぼうとかれきのえだぶり)
どうでもいいことのたとえ。また、良し悪しをとやかく言うべきでないことのたとえ。人の妻のことや枯れ木の枝ぶりは、あれこれ言ってもしようがないことから。
人の蠅を追うより己の蠅を追え(ひとのはえをおうよりおのれのはえをおえ)
よその欠点に伸ばしたその手で、まず自分の欠点をひとつ直せばよい。 人を直す資格は、そのあとについてくる。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
人のふり見て我がふり直せ(ひとのふりみてわがふりなおせ)
よそでみっともないと感じた振る舞いは、たいてい自分にも同じ形で出ている。人は、こちらを映して見せてくれる鏡だと思っておくのがよい。
人の将に死なんとするその言や善し(ひとのまさにしなんとするそのげんやよし)
もはや取り繕う相手も先もない者の言葉には、飾りが残らない。 最期の一言だけは、聞くに値するものになる。
人の物より自分の物(ひとのものよりじぶんのもの)
どんなに良くても他人の物よりは、多少劣っていても自分の物のほうがよいということ。
人は一代、名は末代(ひとはいちだい、なはまつだい)
人のからだは死ねば滅びてしまうが、その人の名は後世にまで残るので、死後に名前を残すような立派なことをせよということ。
人は落ち目が大事(ひとはおちめがだいじ)
人が落ちぶれた時こそ、見捨てずに援助や励ましを与えるべきだということ。また、落ち目になった時こそ大事な時であるから、言動に注意すべきだということ。
人は陰が大事(ひとはかげがだいじ)
人間は人目に付く所の行動だけでなく、他人の見ていない所での行動が大事だということ。
人は足るを知らざるを苦しむ(ひとはたるをしらざるをくるしむ)
人間の欲望には際限がなく、そのために苦しむということ。
人はパンのみにて生くるにあらず(ひとはぱんのみにていくるにあらず)
人間は物質的満足だけを目的として生きるものではないということ。
人は見かけによらぬもの(ひとはみかけによらぬもの)
人の性質や能力は外見だけでは判断しにくく、外見と中身は往々にして異なることが多いので、外見だけで軽々しく判断してはいけないということ。
人は病の器(ひとはやまいのうつわ)
人はいろいろな病気にかかりやすく、まるで病の入れ物みたいであるということ。
人は悪かれ我善かれ(ひとはわるかれわれよかれ)
他人がどんなひどい目に遭っても、自分さえよければいいということ。人間は利己的なものだということ。また、そういう人間をあざける言葉としても使う。
人一盛り(ひとひとさかり)
人の盛んな時は、ほんの一時にすぎないということ。
人を怨むより身を怨め(ひとをうらむよりみをうらめ)
うまくいかなかった元を相手のせいにしても、得るものはない。 矛先はまず自分へ向け、足りなかった所から洗い出すのが順序だとする。
人を思うは身を思う、人を憎むは身を憎む(ひとをおもうはみをおもう、ひとをにくむはみをにくむ)
人に情けをかけることは自分のためになることであり、人を苦しめることはやがて自分の苦しみになるということ。
人を謗るは鴨の味(ひとをそしるはかものあじ)
他人をこき下ろしている間の、後ろめたくも癖になる心地よさ。 陰口ほどやめにくいものはないと、身も蓋もなく認めた形。
人を叩いた夜は寝られぬ(ひとをたたいたよはねられぬ)
人に害を加えられた者より、害を加えた者のほうが苦しいというたとえ。人を叩いた夜は、気がとがめて寝ていられないということ。
人を恃むは自ら恃むに如かず(ひとをたのむはみずからたのむにしかず)
他人は当てにならないから、人に頼るよりも自分自身を頼りにするのが確かだということ。「恃む」は、頼るという意。
人を呪わば穴二つ(ひとをのろわばあなふたつ)
人に悪いことをすれば、いつか自分の身にもはね返ってくるというたとえ。 「穴」は、墓穴のこと。 人を呪い殺そうとすれば、いつか自分もその報いで殺されることになるので、二つの墓穴が必要になるとの意から。
人を見たら泥棒と思え(ひとをみたらどろぼうとおもえ)
他人は信用できないので、泥棒と疑ってかかるくらい用心したほうがよいということ。
人を見て法を説け(ひとをみてほうをとけ)
相手をよく見きわめて、それにふさわしい方法を取れということ。 相手の人柄や能力を見て、その人に適した仏法を説けとの意から。 「人」は「にん」ともいう。
人を以て鑑と為す(ひとをもってかがみとなす)
よその人の振る舞いに我が身を照らして、欠けた所や行き過ぎに気づいていく。 銅の鏡が身なりを整えさせてくれるのと同じ働きを人にも求めた言い方で、唐の太宗の言葉として伝わる。
人を以て言を廃せず(ひとをもってげんをはいせず)
語り手の格が低いからといって、中身のある一言まで捨ててはならない。 「発言が立派だからといって人まで取り立てはしない」という半句と背中合わせに置かれている。
文は人なり(ぶんはひとなり)
文章には、筆者の人柄がそのまま表れ、読めば筆者の人となりが推察出来るということ。
丸くとも一角あれや人心(まるくともひとかどあれやひとごころ)
性格が温厚で柔和なのはよいことだが、時には自分の意地を通すような強い一面もあったほうがよいということ。「一角」は、性格が少し角立っていること。「あまりまろきは転び易きぞ」と続けてもいう。
褒める人には油断すな(ほめるひとにはゆだんすな)
言葉巧みに近づいてくる者は、下心があるから油断してはいけないということ。
旨い物食わす人に油断すな(うまいものくわすひとにゆだんすな)
気前よくもてなしてくる相手ほど、腹に何を抱えているか分からない。 馳走が先に立つ付き合いこそ、いったん身構えたほうがよい。
声なくして人を呼ぶ(こえなくしてひとをよぶ)
声に出して招かなくても人が集うということ。 徳がおのずと人を引き寄せるのであって、言葉で呼び立てるには及ばないという意。
人は石垣、人は城(ひとはいしがき、ひとはしろ)
守りを固めるのは石や土ではなく、心を寄せてくれる人だということ。 武田信玄の言葉として伝えられ、あとに「情けは味方、仇は敵なり」と続く。
人は知れぬもの(ひとはしれぬもの)
その人の中身は、表からながめただけでは測れないということ。 先々どうなっていくのかも、まわりには見通せない。
褒める人は買わぬ(ほめるひとはかわぬ)
しきりに品定めをして感心してみせる客ほど、財布の紐は固いものだということ。 口先だけの持ち上げは当てにならないというたとえにも使う。
顎で人を使う(あごでひとをつかう)
高慢な態度で人をこき使うこと。 顎をしゃくるなどの合図だけで人を指図することから。 「顎で人を使う」「頤で人を使う」ともいう。
今日は人の上、明日は我が身の上(きょうはひとのうえ、あすはわがみのうえ)
今日は人の身に起きたことが、明日は自分の身に起きるかもしれない。人の災難を、自分には縁のないものと見てはならないという戒め。 後半だけを取り出して「明日は我が身」ともいう。
人当たりがいい(ひとあたりがいい)
人と接する態度がよく、相手にいい印象をあたえること。
面で人を切る(つらでひとをきる)
傲慢な態度で、相手の気持ちを傷つけること。
意中の人(いちゅうのひと)
心の中でひそかに思い、慕っている人。
一杯は人酒を飲む、二杯は酒酒を飲む、三杯は酒人を飲む(いっぱいはひとさけをのむ、にはいはさけさけをのむ、さんばいはさけひとをのむ)
多量に酒を飲むことを戒めた言葉。 酒も少量のうちはよいが、多量になると自制心をなくし、しまいには人が酒に飲まれ乱れてしまうということ。
帰らぬ人となる(かえらぬひととなる)
死ぬこと。亡くなること。
傍らに人無きが如し(かたわらにひとなきがごとし)
同席している者を、まるで数のうちに入れずに動く。 声の大きさも身の置き方も、人前だからと改める気配がない。
人が変わる(ひとがかわる)
それまでと別の人であるかのように、性格や顔つき、人柄などが変わること。
人が悪い(ひとがわるい)
人が困ることをして喜ぶような性格。意地の悪い性格。
人聞きが悪い(ひとぎきがわるい)
よその人に聞かれると誤解を招く恐れがあるさま。
人目に余る(ひとめにあまる)
言動や服装などが目立ちすぎること。または、そのために周りを不快な気持ちにさせること。
人目を忍ぶ(ひとめをしのぶ)
他人に見つからないように密かに行動すること。
人目を盗む(ひとめをぬすむ)
他人に見つからないようにこっそりと行うこと。
人目を憚る(ひとめをはばかる)
人に知られると困る事情があるために人に見られることを避けること。
人目を引く(ひとめをひく)
服装や態度などが目立っていて注目を集めること。
人を食う(ひとをくう)
相手を見下した態度や言動を取ること。
川中には立てど人中には立たれず(かわなかにはたてどひとなかにはたたれず)
世渡りは難しいというたとえ。 流れが急な川の中に立つことはできても、世間に流されずに生きることは難しいとの意から。
路傍の人(ろぼうのひと)
特に関わりのない人。 同じ道を通っているだけの人という意味から。
知らずば人真似(しらずばひとまね)
勝手が分からない場面では、先にやっている人の手つきをそのまま写すのが安全だ。 自己流で踏み出すより、人の運びに合わせておくほうが間違いが少ない。
我が口に甘ければ人の口にも甘し(わがくちにあまければひとのくちにもあまし)
自分の好むことは他人もまた好むものである。 自分がよいと思うことは人にも施すべきであるということ。
家給し人足る(いえきゅうしひとたる)
全ての家庭と人々が豊かで満足のいく生活を送り、盗みや争いがなく、社会が平和で安定している様子。
人の短を道うこと無かれ、己の長を説くこと無かれ(ひとのたんをいうことなかれ、おのれのちょうをとくことなかれ)
人の短所をとがめず、自分の長所をひけらかさないようにという戒め。
斗筲の人(としょうのひと)
見識が狭く、器の小さい人。斗も筲もわずかしか入らない量りで、その程度の容れ物でしかない、という見立て。
赤心を推して人の腹中に置く(せきしんをおしてひとのふくちゅうにおく)
うそ偽りのない心をそのまま相手に預け、疑うことなく付き合うこと。「赤心」はまごころ、「腹中に置く」は相手の内に収めさせる意。 降った銅馬の軍を疑わず、供も連れずに陣を見回った漢の光武帝を、降兵たちが、まごころを人の腹の中に置くようなお方だと言って心から従った。
人至って賢ければ友なし(ひといたってかしこければともなし)
もののわかりが良すぎる人の周りからは、気安く付き合える相手がいなくなる。内心まで見通されるとわかっていて、なお近寄ろうとする者は少ない。
世の取り沙汰は人に言わせよ(よのとりざたはひとにいわせよ)
取り沙汰というものは、押さえつけたところで収まらない。語りたい者には語らせておき、こちらは意に介さずにいればよい。
人を誨えて倦まず(ひとをおしえてうまず)
教える側に回って、相手の呑み込みがどれほど遅くても根気を切らさない。 孔子が自らの持ち味として挙げた一句で、「学びて厭わず」と並べて伝えられる。
母の折檻より隣の人の扱いが痛い(はははのせっかんよりとなりのひとのあつかいがいたい)
きつく当たられても身内の手なら平気だが、間に割って入ってきた近所の人のほうがよほど怖い。 止めに立つ側には、身内が持つほどの情は無いからだ。
知る人に縄を掛ける(しるひとになわをかける)
やりたくもない役目を負わされ、気が乗らないまま手を下す。 引き受けざるを得ない立場に置かれた側の心持ちをいう。
人手に掛ける(ひとでにかける)
自分では手を下さず、別の者にその始末をさせる。多くは人を殺めさせる意で使い、育てる役を他人へ預ける意にもなる。
廉士は人を恥じしめず(れんしはひとをはじしめず)
身ぎれいに生きる者は、相手の面目をつぶして手に入る取り分には手を伸ばさない。自分の分け前を増やすために人を低いところへ落とす、そのやり方をはじめから執らない。 「廉士」は、私欲で動かない人を指す。
誉める人には油断するな(ほめるひとにはゆだんするな)
度を越して持ち上げてくる者ほど、その言葉を鵜呑みにせず身構えておきたい。 褒め言葉の裏には、何かしらの思惑が潜んでいるものだから。
人の悪きは我が悪きなり(ひとのあしきはわがあしきなり)
相手が冷たいのは、こちらが先に冷たくしているからだということ。 人の振る舞いは自分の振る舞いの写しだという見方。
人は言わぬが我言うな(ひとはいわぬがわれいうな)
隠しごとの漏れ口は、多くの場合その当人だと心得よ。 他人は黙っていられても、自分は抱えきれずにしゃべってしまう。
人は故郷を離れて貴し(ひとはこきょうをはなれてたっとし)
生まれた土地を出てはじめて、人は高く扱われるということ。 地元では育ちも身内も見透かされていて、どれほどの者になっても昔のままの目で見られるため。
人は心が百貫目(ひとはこころがひゃっかんめ)
見た目よりも、内側の持ちようのほうが重いということ。 「貫」は銭を数える単位で、百貫目ともなれば大変な額。それを心の重さに当てはめたもの。
人は十歳、木は一丈(ひとはじっさい、きはいちじょう)
十になった子と、一丈まで伸びた木は、この先の育ちがおおよそ読めるということ。 一丈は約三メートル。
我が身に偽りある者が人の誠を疑う(わがみにいつわりあるものがひとのまことをうたがう)
後ろ暗さを抱えている者ほど、まっすぐな相手の心まで疑うということ。 自分の物差しで人を測るため。
良工は人に示すに朴を以てせず(りょうこうはひとにしめすにぼくをもってせず)
腕のたしかな職人は、途中の粗いままの物を人目にさらさない。仕上がったものだけを差し出すという心構えをいう。 「朴」は、まだ手を入れていない木のこと。
楚人弓を遺れて楚人之を得(そひとゆみをわすれてそひとこれをう)
なくした物が同じ仲間の手に渡るのなら、惜しむには当たらない。目先の得失にとらわれない度量の大きさをいう。楚の共王が狩りの途中で弓を置き忘れたとき、家来が探そうとするのを、楚の者が落として楚の者が拾うのだから捜すには及ばぬと制したという故事から。
金を攫む者は人を見ず(きんをつかむものはひとをみず)
欲しいものに心を奪われた者は、周りの目がまるで入らなくなるということ。 白昼に金をつかんで逃げた男が、役人に問われて金だけが見えて人は見えなかったと答えたという故事から。
人垢は身に付かぬ(ひとあかはみにつかぬ)
よそから奪い取った物や借り受けた物は、どれほど抱えても我が身に定着しないということ。 人の垢が浮いた湯につかっても、その垢が自分の肌に移ることはないことから。
入れ物と人はある物使え(いれものとひとはあるものつかえ)
器も人手も、そこにあるもので賄うのがよいということ。あつらえの道具や選り抜きの人材を待つより、有り合わせを役立てよという教え。
