「我が・吾が」の意味

「我が・吾が」(わが)の意味・読み方を解説します。
我が
/吾が
わが
| 言葉 | 我が・吾が |
|---|---|
| 読み方 | わが |
| 意味 | (体言に付いて)話し手自身や、その身内・所属をさす語。親しみや誇りをこめても使う。 |
| 例文 | 「我が母校では」「我が意を得たり」 |
「我が・吾が」で使われている漢字
「我が・吾が」を含む故事・ことわざ・慣用句
我が上の星は見えぬ(わがうえのほしはみえぬ)
誰にも自分の運命はわからないということ。「星」は運命の意。
我が刀で首切る(わがかたなでくびきる)
自分のおこないで自分自身が苦しむ結果になるたとえ。
我を非として当たる者は吾が師なり(われをひとしてあたるものはわがしなり)
自分の欠点を注意してくれる人は、誰でも自分にとっての先生だということ。 「当たる」は「当う」とも書き、「むかう」とも読む。
我が家、楽の釜盥(わがいえ、らくのかまだらい)
盥(たらい)を買えずに釜で代用しているような貧乏な暮らしをしていても、我が家ほど楽しい所はないということ。
我が面白の人泣かせ(わがおもしろのひとなかせ)
自分が面白くて楽しんでいることが、人に迷惑をかけていることがあるということ。
我が糞は臭くなし(わがくそはくさくなし)
自分の欠点には気がつかないというたとえ。
我が心石に非ず、転ずべからず(わがこころいしにあらず、てんずべからず)
心が確固として不動であることのたとえ。 自分の心は石ではないから、転がして動かすことはできないということ。
我が子自慢は親の常(わがこじまんはおやのつね)
親は誰でも我が子を自慢したがるということ。
我が事と下り坂に走らぬ者なし(わがこととくだりざかにはしらぬものなし)
自分に関することとなれば、下り坂で自然と早足になるように、自ら進んで走りまわるということ。
我が好きを人に振る舞う(わがすきをひとにふるまう)
相手の好き嫌いを考えずに、自分の好みを人に押し付けること。
我が田に水を引く(わがたにみずをひく)
他人のことを考えず、自分の利益のみを優先して行動すること。また、自分に都合のよい理屈をこねること。[[我田引水*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1264.html]]。
我が亡き後に洪水よ来たれ(わがなきあとにこうずいよきたれ)
自分が死んだ後なら、洪水でもなんでも来てよい。今さえよければ、あとはどうなってもかまわないということ。
我が仏尊し(わがほとけとうとし)
手を合わせてきた相手こそが一番だと、疑いもせずに思い込む。 自分の側の物差ししか目に入らず、よそのものを端から見ようとしない狭さをいう。
我が身の臭さ我知らず(わがみのくささわれしらず)
自分の欠点はなかなか気がつかないというたとえ。
我が身の事は人に問え(わがみのことはひとにとえ)
自分の短所やしくじりは当人の目に入らないものだから、まわりに尋ねて直すのがよいということ。 わが事となると見立てが狂いやすいので、人の目を借りよという教え。
我が身を立てんとせばまず人を立てよ(わがみをたてんとせばまずひとをたてよ)
自分の身を立てたいと望むなら、まず人を引き立てるように心がけよということ。
我が身を抓って人の痛さを知れ(わがみをつねってひとのいたさをしれ)
自分の身に引き比べて、人の苦しみや痛みを思いやることが大切だということ。
我が物と思えば軽し笠の雪(わがものとおもえばかるしかさのゆき)
つらいことも苦しいことも、自分のためだと思えば苦にならないものだというたとえ。 笠に降り積もる重い雪も自分のものだと思えば軽く感じられるということ。 江戸時代の俳人、宝井其角の句「我が雪と思へば軽し笠の上」から。
錦着ての奉公より襤褸着ての我が世(にしききてのほうこうよりつづれきてのわがよ)
高価な着物を着られても、奉公人として人に頭を下げるより、たとえぼろ着でも自由な暮らしをしたいということ。
仇も情けも我が身より出る(あだもなさけもわがみよりでる)
人から憎まれたり愛されたりするのは、自分の心がけや行いによるということ。
人の過ち我が幸せ(ひとのあやまちわがしあわせ)
口には出せないが、他人の失敗は、自分には幸せなのだということ。
人の一寸、我が一尺(ひとのいっすん、わがいっしゃく)
人の欠点は少しのことでも目につくが、自分の欠点はどんなに大きくても気がつかないというたとえ。
人の噓は我が嘘(ひとのうそはわがうそ)
人の受け売りで話をすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたことになる。人の話を簡単に受け売りするなということ。
人の事より我が事(ひとのことよりわがこと)
人の世話を焼くより、まず自分の事をしっかりせよということ。
人の子の死んだより我が子の転けた(ひとのこのしんだよりわがこのこけた)
他人の子どもが死んだことよりも、自分の子が転んだことのほうが重要だということ。我が子の大事さのたとえ。また、自分の利益が一番大事ということのたとえ。
人の七難より我が十難(ひとのしちなんよりわがじゅうなん)
人の欠点は少しのことでも気がつくが、自分の欠点はなかなか気がつかないということ。 「難」は欠点のこと。 「人の七難より我が八難」「人の七難は見ゆれど我が十難は見えず」ともいう。
人の十難より我が一難(ひとのじゅうなんよりわがいちなん)
人の身に起こった多くの災難より、自分の身に起きた小さな災難のほうが大ごとだということ。
人の空言は我が空言(ひとのそらごとはわがそらごと)
他人の話を受け売りすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたのと同じことになる。人の話を簡単に受け売りするなという戒めの言葉。「空言」は何の根拠もない噂のこと。
昨日は人の身、今日は我が身(きのうはひとのみ、きょうはわがみ)
人の運命は予測しがたく、他人にふりかかった災難が、いつ自分にもふりかかるかわからないということ。
盗人を捕らえて見れば我が子なり(ぬすびとをとらえてみればわがこなり)
悪事の相手を突き止めたら身内だった、という行き詰まり。責める側に立てなくなり、近くにいる者ほど疑いの外に置けないと思い知らされる。
不可能という言葉は我が辞書にはない(ふかのうということばはわがじしょにはない)
自分には不可能なことはないということ、世の中には出来ないことなどないということ。「余」は「予」とも書く。通説としてナポレオンの言葉といわれている。
三人行えば必ず我が師あり(さんにんおこなえばかならずわがしあり)
誰と居合わせても、そこから得るものはある。 倣いたい振る舞いはそのまま取り入れ、そうなりたくない振る舞いは我が身を正す材料にすればよい。
世上物騒我が身息災(せじょうぶっそうわがみそくさい)
世間にどんな事が起こっても、自分の身が安全ならかまわない。世の中に無関心で利己主義な人のことをいう。
人相見の我が身知らず(にんそうみのわがみしらず)
他人の運命についてあれこれ占う人相見も、自分の事は正しい判断がつかないということ。「人相見」は、人相を見て運命を判断することを職業とする人のこと。
人に七癖、我が身に八癖(ひとにななくせ、わがみにやくせ)
他人の癖は目につきやすいが、自分の癖にはなかなか気がつかないから自戒せよということ。
我が頭の蠅を追え(わがあたまのはえをおえ)
よその欠点に伸ばしたその手で、まず自分の欠点をひとつ直せばよい。 人を直す資格は、そのあとについてくる。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
人のふり見て我がふり直せ(ひとのふりみてわがふりなおせ)
よそでみっともないと感じた振る舞いは、たいてい自分にも同じ形で出ている。人は、こちらを映して見せてくれる鏡だと思っておくのがよい。
明日は我が身(あすはわがみ)
災難がいつ自分の番に回ってきてもおかしくないということ。人の不幸を見て用心せよという戒め。 「今日は人の上、明日は我が身の上」の後半を取り出した言い方。
今日は人の上、明日は我が身の上(きょうはひとのうえ、あすはわがみのうえ)
今日は人の身に起きたことが、明日は自分の身に起きるかもしれない。人の災難を、自分には縁のないものと見てはならないという戒め。 後半だけを取り出して「明日は我が身」ともいう。
我が世の春(わがよのはる)
物事が全て望み通りになる絶頂期。
我が事終わる(わがことおわる)
自分が関わっていることが全て終わること。なすべきことがないこと。
我が意を得たり(わがいをえたり)
物事が自分の考えていた通りになる。自分の考えにぴったり合う。
我が門で吠えぬ犬なし(わがかどでほえぬいぬなし)
弱い者も自分の家では威張ることのたとえ。 どんなに臆病な犬でも、自分の家の前ではよく吠えるとの意から。
我が口に甘ければ人の口にも甘し(わがくちにあまければひとのくちにもあまし)
自分の好むことは他人もまた好むものである。 自分がよいと思うことは人にも施すべきであるということ。
吾が心秤の如し(わがこころはかりのごとし)
私の心は、秤(はかり)のように公平であるということ。 どちらか一方に偏ったり、私情を交えたりしないという意味。
我が心を獲たり(わがこころをえたり)
他人の言葉や行いが、自分の心にぴったり適っていること。
我が子の悪事は見えぬ(わがこのあくじはみえぬ)
親は自分の子をひいきしがちで、欠点や過ちに気づかないものだということ。
我が脛に鎌(わがすねにかま)
自らの行為によって自分を傷つけることのたとえ。
我が田への水も八分目(わがたへのみずもはちぶんめ)
自分の利益を優先しすぎず、欲を抑えて周囲との調和を図るべきであるということ。 田に水を引く際、自分の田だけに満水まで引くのではなく、他者の田にも配慮し、適度なところで止めるべきであるという考えから。 独占や過度な利己主義を戒める言葉。
人の悪きは我が悪きなり(ひとのあしきはわがあしきなり)
相手が冷たいのは、こちらが先に冷たくしているからだということ。 人の振る舞いは自分の振る舞いの写しだという見方。
