「他人」の意味・対義語

「他人」(たにん)の意味・読み方を解説します。対義語もあわせて確認できます。
他人
たにん
| 言葉 | 他人 |
|---|---|
| 読み方 | たにん |
| 意味・例文 |
|
「他人」の対義語(反対語)
「他人」で使われている漢字
「他人」を含む故事・ことわざ・慣用句
のけば他人(のけばたにん)
夫婦はもともと他人同士だから、どんなに仲がよくても離婚するとまったくの赤の他人になるということ。
富貴には他人集まり、貧賤には親戚も離る(ふうきにはたにんあつまり、ひんせんにはしんせきもはなれる)
地位や財産のある者には赤の他人も寄ってくるが、貧乏な者には親戚さえも寄り付かないということ。
赤の他人(あかのたにん)
全く無関係の他人。「赤」は名詞の上に付くことでそれを強調し、「全くの」「明らかな」「はっきりした」の意を表す。
親子の仲でも金銭は他人(おやこのなかでもきんせんはたにん)
金銭に関しては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)
いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。
他人の疝気を頭痛に病む(たにんのせんきをずつうにやむ)
自分には関係のない物事で、いらぬ心配をすることのたとえ。 「疝気」は漢方で腰・下腹部の病気のこと。 他人の疝気を心配して自分が頭痛になることから。 「人の疝気を頭痛に病む」「隣の疝気を頭痛に病む」ともいう。
他人の念仏で極楽参り(たにんのねんぶつでごくらくまいり)
他人の力を当てにして、自分の利益を図ったり、義理を果たすことのたとえ。他人の唱えた念仏で自分が極楽へ行こうとする意から。
他人の褌で相撲を取る(たにんのふんどしですもうをとる)
人の物を利用して自分の利益を図ることのたとえ。 自分の褌を使わず、人の褌を借りて相撲をとることから。
他人の空似(たにんのそらに)
血のつながりがない他人同士が、偶然よく似ていること。
他人の宝を数える(たにんのたからをかぞえる)
自分には何の得にもならないことのたとえ。 「他人の宝を数える」「隣の宝を数える」「隣の家の宝を数える」ともいう。
他人の正目(たにんのまさめ)
利害関係のない他人の見方は、公平で正しいというたとえ。「正目」は縦にまっすぐに筋の通った木目のこと。
他人の飯には骨がある(たにんのめしにはほねがある)
他人の家に世話になって生活することは、どこか窮屈で何かと気を遣うことが多いということ。また、他人の親切には底意があり、頼りきっているとひどい目に遭うこともあるということ。 他人の家で食べる飯は、まるで骨でもあるかのようにのどを通りにくいとの意から。 「他人の飯には棘がある」「他人の飯は強い」ともいう。
他人の飯は白い(たにんのめしはしろい)
他人のものは、自分のものより良く見えるというたとえ。
他人の飯を食う(たにんのめしをくう)
親元を離れ、他人の間に揉まれて実社会の経験を積むこと。
他人は時の花(たにんはときのはな)
季節の花が咲いてすぐ散るように、他人の好意も長続きしないものだから、あまり頼りにしてはいけないという教え。「時の花」は季節に咲く花。
親の欲目と他人の僻目(おやのよくめとたにんのひがめ)
わが子かわいさのあまり、親が自分の子を実際より高く評価しようとすること。
兄弟は他人の始まり(きょうだいはたにんのはじまり)
兄弟姉妹も成長すれば利害関係や結婚などによって、お互いの愛情が薄れ、やがて他人のようになってしまうというたとえ。
金銭は他人(きんせんはたにん)
金銭に関しては、たとえ親子の間でも、他人と同じようにけじめをつけなければならないということ。
親は泣き寄り、他人は食い寄り(しんはなきより、たにんはくいより)
同じ座に顔をそろえていても、来ている理由はまるで違う。 血のつながった側は胸を痛めて、そうでない側は座敷の支度のほうを見ている。 また、いざというとき本気で動くのは身内のほうで、他人の情けは表面で止まる。 単に「他人は食い寄り」ともいう。
他人の別れ棒の端(たにんのわかれぼうのはし)
夫婦が離婚すると、赤の他人よりも疎遠になってしまい、お互いに棒切れほどにしか思わなくなるということ。
貸し借りは他人(かしかりはたにん)
金銭の貸し借りについては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
他人の飯を食わねば親の恩は知れぬ(たにんのめしをくわねばおやのおんはしれぬ)
親元を離れ、他人と暮らし、世間で苦労してみなければ、親の恩は知れないということ。
親の打つ拳より他人の摩るが痛い(おやのうつこぶしよりたにんのさするがいたい)
手荒に扱われても、そこに親の情があるうちは身にこたえない。 よそから伸びてくる手がどれほど柔らかでも、裏が空であれば痛みだけが残る。
夫婦は他人の集まり(ふうふはたにんのあつまり)
夫婦を血縁ではなく、縁で寄り合った間柄と見ることば。血のつながりが無い以上、末を共にできるかは縁の強さしだいになる。 「集まり」は寄り合い。「夫婦は一心同体」の向こうを張った言い方。

