「山」の意味・対義語

「山」(やま)の意味・読み方を解説します。対義語もあわせて確認できます。
山
やま
| 言葉 | 山 |
|---|---|
| 読み方 | やま |
| 意味・例文 |
|
「山」の対義語(反対語)
- やま山

- うみ海
※広義での対義語(反対語)も含まれます。
「山」で使われている漢字
「山」を含む四字熟語
「山」を含む故事・ことわざ・慣用句
一度焼けた山は二度は焼けぬ(いちどやけたやまはにどはやけぬ)
一度災いに遭うと二度と同じ災いに遭うことはないと、災難に遭った人を慰めて言うことば。
鹿を逐う者は山を見ず(しかをおうものはやまをみず)
一つを手にすることへ気を取られた者の目からは、それ以外がきれいに抜け落ちる。 欲しいものだけが見えている間は、足元で何が起きていても届かない。
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ(ちしゃはみずをたのしみ、じんしゃはやまをたのしむ)
ものの道理をわきまえた人は、判断に迷いがないからよどみなく流れる川を愛し楽しむ。また、仁徳を備えた人は、静かな心で何事にも動じないからどっしりかまえた山を愛し楽しむということ。 単に「知者は水を楽しむ」「仁者は山を楽しむ」ともいう。
父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し(ちちのおんはやまよりもたかく、ははのおんはうみよりもふかし)
父母から受けた恩は広大で深いということ。 両親の愛情をたとえたもの。 「父母の恩は山よりも高く海よりも深し」ともいう。
後は野となれ山となれ(あとはのとなれやまとなれ)
目前の問題さえ片付けば、あとはどうなってもよいということ。
車は海へ舟は山(くるまはうみへふねはやま)
物事がさかさまなことのたとえ。
恋の山には孔子の倒れ(こいのやまにはくじのたおれ)
どんなにすぐれた人でも、色恋のこととなると思慮分別を失い、間違いを犯してしまうというたとえ。「孔子」は孔子(こうし)の呉音読み。
目には青葉、山時鳥、初鰹(めにはあおば、やまほととぎす、はつがつお)
夏の入り口を、目に映るもの・耳に届くもの・舌に乗るものの三つで言い切った一句。 どれもこの時季を過ぎれば手に入らない。 江戸前期の俳人山口素堂の発句による。
山師の玄関(やましのげんかん)
内容や実質がないのに見かけだけが立派なことのたとえ。「山師」は投機的な事業で大儲けをたくらむ人。その山師が人を信用させるために玄関を特に立派にすることから。
山師山で果てる(やましやまではてる)
得意な技を持つ人は、その技のために身の破滅を招きやすいということのたとえ。山に慣れた山師は、つい油断して山で命を落とすことが多いということから。
山高きが故に貴からず(やまたかきがゆえにたっとからず)
外観がよくても、内容が伴わなければ立派とはいえないということ。物事は見かけだけで判断してはいけないというたとえ。
座して食らえば山も空し(ざしてくらえばやまもむなし)
入るものが絶えたまま食べる一方では、どれほど積み上げた蓄えでも先細って消えてしまう。 手を動かさずに日を送る者へ突きつける言葉。
海に千年山に千年(うみにせんねんやまにせんねん)
経験豊富で抜け目なく悪賢いこと。また、そういう人のこと。 海に千年、山に千年住んだ大蛇は竜になるという言い伝えから。 「海千山千」ともいう。
海の物とも山の物ともつかぬ(うみのものともやまのものともつかぬ)
この先どうなるか見当がつかないこと。また、正体がわからないこと。
愚公、山を移す(ぐこう、やまをうつす)
気の遠くなるような仕事でも、代を継いで手を止めずにいれば、いつかは果たせる。 年老いた愚公が、家の前を塞ぐ山を子や孫の代まで掛かって崩すと言い切り、その一途さに打たれた天の神が山ごと運び去ったという話に拠る。
妻の言うに向こう山も動く(つまのいうにむこうやまもうごく)
妻の言葉は夫に対して大きな力を持っていることのたとえ。 動くはずのない向こうの山でさえも、妻が言えば動いてしまうとの意から。
山に蛤を求む(やまにはまぐりをもとむ)
向かう先を取り違えていては、どれほど手を尽くしても実りはない。 海でなければとれない蛤を、山の中で探し回るとの意から。
山の芋鰻とならず(やまのいもうなぎとならず)
世の中では突拍子もない変化は起こらないというたとえ。
風は吹けども山は動ぜず(かぜはふけどもやまはどうぜず)
周囲の騒ぎの中で、少しも動じないで悠然としていることのたとえ。 激しい風が吹き荒れても山はびくともしないとの意から。
片山曇れば片山日照る(かたやまくもればかたやまひてる)
一方に悪いことがあれば、もう一方に良いことがあり、世の中は様々だということ。
枯れ木も山の賑わい(かれきもやまのにぎわい)
つまらないものでも、ないよりはあったほうがましだというたとえ。枯れ木でもいくらかは山に風情を添えるという意で、自分のことをへりくだって言う言葉。
来て見ればさほどでもなし富士の山(きてみればさほどでもなしふじのやま)
何事もおおげさに言われるもので、実際に見てみると想像していたほどのものではないことが多いというたとえ。 富士山はすばらしいと言われているけれども、来てみればそれほどの山ではなかったとの意から。
船頭多くして、船、山へ登る(せんどうおおくして、ふね、やまへのぼる)
上に立つ者が並ぶと、進む先はかえって定まらない。 号令の数だけ、話は本筋から外れていく。 「船頭」は船をあやつる責任者のこと。
宝の山に入りながら手を空しくして帰る(たからのやまにいりながらてをむなしくしてかえる)
よい機会に恵まれながら、結局何の利益も得られないで終わることのたとえ。
力山を抜き、気は世を蓋う(ちからやまをぬき、きはよをおおう)
勇壮な気性のたとえ。 山を引き抜くほどの大きな力と、世界を覆い尽くすほどの意気があるとの意。 敵に取り囲まれた四面楚歌の状況で楚の項羽がうたった詩「垓下歌」の一節。 「抜山蓋世」ともいう。
塵も積もれば山となる(ちりもつもればやまとなる)
一粒ずつでは数にも入らないものが、こぼさず貯めていけば見上げる高さになる。 日々の小さな積み立てや、逆に小さな浪費についても言う。
遠目、山越し、笠の内(とおめ、やまごし、かさのうち)
遠くから見るとき、山越しに見るとき、また、笠に隠れた顔の一部をちらりと見る時は、はっきりと見えないので、実際以上に美しく感じられるということ。
鉈を貸して山を伐られる(なたをかしてやまをきられる)
好意でしたことによって、自分が損害を受けることのたとえ。 好意で貸した鉈によって、自分の山の木を伐採されてしまうとの意から。
女房は山の神百石の位(にょうぼうはやまのかみひゃっこくのくらい)
家庭において妻は山の神のように尊く、百石の禄を受ける武士の位にも匹敵するほど大切な存在であるということ。 家の中で妻が重要な地位を占め、敬うべき大事な存在であることのたとえ。
山の芋を蒲焼にする(やまのいもをかばやきにする)
あまりにも早計な行為のたとえ。 [[蕪は鶉となり、山芋は鰻となる*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/4562.php]](起こるはずのないことが時には起こることのたとえ)という言葉でたとえに用いられている山芋がまだ鰻にもなっていないのに蒲焼にしようとすることから。
山より大きな猪は出ぬ(やまよりおおきないのししはでぬ)
猪がどれほど大きく育とうと、そのすみかである山を超える丈にはなれない。 うつわを超える中身は出てこないのだから、話を大きくするのもそのあたりまでにしておけということ。
山に躓かずして垤に躓く(やまにつまずかずしててつにつまずく)
大ごとには身構えて臨むから案外つまずかず、かえって高をくくった小さなことで転ぶということ。 「垤」は、蟻が土を盛り上げてつくる小さな塚。高い山は誰もが用心して越えるのに、足元の塚は目にも留めずに踏み越えていくとの意から。
蕪は鶉となり、山芋は鰻となる(かぶらはうずらとなり、やまいもはうなぎとなる)
起こるはずのないことが時には起こることのたとえ。また、身分の低い人が急に出世したり金持ちになることのたとえ。 いくら形が似ていても、蕪(かぶら)が鶉(うずら)になったり山芋が鰻になったりすることなどありえないが、それが起こるとの意から。 「山の芋鰻になる」ともいう。
何れを見ても山家育ち(いずれをみてもやまがそだち)
大勢いる者のどれを見ても田舎育ちで、誰一人役に立ちそうにない。
円石を千仞の山に転ず(えんせきをせんじんのやまにてんず)
非常に勢いが激しく、抑えようがないことのたとえ。 高い山から丸い石を落とすと、ものすごい勢いで転がることから。
山を越す(やまをこす)
物事の最も盛んな時期や危険な時期を過ぎること。 「山を越す」ともいう。
お山の大将(おやまのたいしょう)
小さな集団や狭い世界の中で、自分が一番偉いと得意になって威張っている人のこと。
一山当てる(ひとやまあてる)
投機などで大きな利益を得ること。
関の山(せきのやま)
物事がうまく進んだ場合でも、これ以上はできないという限度。せいぜい。
山が当たる(やまがあたる)
成功を期待した予想が的中すること。勘が当たること。 鉱山でうまく鉱脈を掘り当てるとの意から。
山が見える(やまがみえる)
困難なことを乗り切って、先の見通しが立つこと。
山場を迎える(やまばをむかえる)
物事が、最も重要な局面を迎えること。
山を当てる(やまをあてる)
万一の成功をねらってやったことがうまくいくこと。 鉱山でうまく鉱脈を掘り当てるとの意から。
山をなす(やまをなす)
山のように高く積み上げられていること。 また、物がたくさんあること。
山を張る(やまをはる)
的中することを期待して物事を行うことのたとえ。 「山」は、鉱山のこと。 鉱山で鉱脈を掘り当てる仕事は大きな賭けであったことから転じて、万一の幸運を当てにすること。 「山を掛ける」ともいう。
湯の山の道連れ(ゆのやまのみちづれ)
頼りになる者が一人もいないこと。また、心もとない相手でも連れがあるだけましだということ。湯治に山へ入るのは体の弱った者ばかりで、万一のとき当てにできる同行者がいなかったことから。
時知らぬ山伏は夜も頭巾(ときしらぬやまぶしはよるもずきん)
山伏は行に身を入れるあまり、床に就くときまで頭巾を取らない。ところ柄も折も汲み取れず、一つの型を通してしまう人をいう。
積土山を成す(せきどやまをなす)
学びも人の徳も、一日で高くなることはない。日ごとの小さな盛り足しが、そのまま丈をつくる。 土を積んで山ができれば風雨が起こり、水が集まって淵になれば竜が棲みつくと説かれ、「積水淵を成す」を対の句とする。
石、玉をつつみて山輝く(いし、たまをつつみてやまかがやく)
内に秘めた優れたものは、包み隠しても外へにじみ出て、そのもの全体を照らす。文の一句が一篇を支えることにも、人の器量が身の回りを明るませることにも使う。 石が玉を抱いていれば山までが輝いて見える、という句から。
山家に木なし(やまがにきなし)
あり余っていそうな所にかぎって、そのものが見あたらないということ。 山中の家なら木には困るまいと思われるが、実際はそうでもない意から。
山立ちは山で果てる(やまだちはやまではてる)
腕に覚えのある者ほど、その道で命を落としやすいということ。 「山立ち」は猟師のことで、山を知りつくしているだけに気がゆるみ、かえって山で最期を迎えるという意。 「山男は山で果てる」ともいう。
人跡繁ければ山も窪む(ひとあとしげければやまもくぼむ)
わずかな力でも、繰り返し加われば侮れない働きをするということ。 踏み固める足が絶えなければ、山の形すら変わるという意から。
茸採った山は忘れられない(きのことったやまはわすれられない)
一度うまい思いをした場所へ、人は何度でも足を向けたくなるということ。 茸がよく採れた山の味を覚えた者は、次の年もまたその山へ入るものだから。
綺麗な花は山に咲く(きれいなはなはやまにさく)
見事なものほど、人の足が向かない奥まった場所にひそむということ。 里に咲く花と違い、山中の花は分け入った者の目にしか触れない意から。
