「千里」の意味

「千里」(せんり)の意味・読み方を解説します。
千里
せんり
| 言葉 | 千里 |
|---|---|
| 読み方 | せんり |
| 意味 |
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「千里」で使われている漢字
「千里」を含む四字熟語
悪事千里(あくじせんり)
悪い噂や悪い評判はすぐに遠くまで知れ渡るということ。 「悪事」は悪い行い、「千里」は遠くの場所という意味。
舳艫千里(じくろせんり)
船の船尾に次の船の船首がくっつくような間隔で、どこまでも連なっていること。 または、そのように船団が進む様子。 「舳」は船首、「艫」は船尾、「千里」は距離が非常に長いこと。
一望千里(いちぼうせんり)
広い範囲を遠くまで見渡すことができること。 または、広々としていて遠くまで見通せる美しい景色のたとえ。 「一望」は景色などで、一度に全体を見ることができること。 「千里」の「里」は距離の単位で、「千里」は非常に遠いことのたとえ。 一度に千里先まで見渡すことが出来るという意味から。
一瀉千里(いっしゃせんり)
文章や言葉が、止まることなくすらすらと出てくることのたとえ。 または、物事が順調にどんどん進むこと。 「瀉」は斜めになっている場所を水が勢いよく流れること。 「里」は距離の単位。「千里」はとても長い距離のたとえ。 水が勢いよく流れ始めると、あっという間に千里も流れていくという意味から。
皓月千里(こうげつせんり)
遠くの場所まで月の光が照らしている様子。 「皓月」は明るく白い月。 「千里」は非常に長い距離のこと。 「皎月千里」とも書く。
飛雪千里(ひせつせんり)
非常に激しく吹雪く様子のこと。 雪が千里先まで飛んでいくという意味から。
沃野千里(よくやせんり)
よく肥えた平地がどこまでも広がっていること。 「里」は距離の単位で、「千里」は非常に長い距離のたとえ。 「沃埜千里」とも書く。
尺幅千里(せきふくせんり)
大きさの小さい絵に広大な風景を描くこと。 詩や絵画などに奥深い世界が描かれていることをいう。 「尺幅」は四方の大きさが一尺あること。 「千里」は非常に遠い距離があること。
跛鼈千里(はべつせんり)
努力を続ければ、能力が劣っていても成功するということのたとえ。 「鼈」はすっぽんのこと。 足の不自由なすっぽんでも、歩みを止めずに進めば千里に至ることから。
毫釐千里(ごうりせんり)
最初の小さな違いが、後になって大きな違いになること。 最初を慎んで行うべきという教え。 「毫」と「釐」はどちらも小さな数量の単位ということから、非常に小さいことのたとえ。 「千里」の「里」は距離の単位で、「千里」は非常に遠いことのたとえ。 「毫釐の差は千里の誤り」を略した言葉。
千里結言(せんりのけつげん)
遠く離れた友人と結んだ約束のこと。 「千里」は距離が非常に離れていることのたとえ。 「結言」は言葉で約束をすること。
千里同風(せんりどうふう)
天下が一つにまとめあげられていて、平和に治まっていること。 「千里」ははるか遠くまでということ。 「同風」は風俗が同じものになるということから、同じ国になることのたとえ。
千里無烟(せんりむえん)
人々の生活が貧しく苦しいこと。 「千里」は千里四方という意味から、広大な範囲のたとえ。 「烟」は炊事をするときにでる煙。 千里四方の広い範囲で、炊事をする煙が見えないという意味から。 「千里無煙」とも書く。
千里命駕(せんりめいが)
遠くにいる友人を訪ねること。 「千里」は非常に距離が離れていることのたとえ。 「命駕」は馬車の用意を命じること。 遠くの友人を訪ねるために、馬車の用意を命令するという意味から。 「千里(せんり)駕(が)を命ず」とも読む。
一日千里(いちじつせんり)
一際すぐれた才能があることのたとえ。
千里一曲(せんりいっきょく)
すぐれた人物にも過ちはあるということ。 または、その過ちをとりたてて批判する必要はないということ。 または、行動が自由でつまらない節操にこだわらないことのたとえ。 中国の黄河は千里の距離に一度進路を変えるということから。
千里之足(せんりのあし)
すぐれた才能がある人物のたとえ。 「千里」は一日で千里の距離を走ることのできる馬のことで、すぐれた才能があることのたとえ。
千里之駕(せんりのが)
はるか遠いところから来ること。 「千里」は非常に距離が遠いこと。 「駕」は馬車で来ること。
千里之志(せんりのこころざし)
すぐれた才能を持っている人の、先を見据えた大きな志。 「千里」ははるか遠い先のことを見据えていること。
志在千里(しざいせんり)
目標が非常に大きいこと。 千里先を目指すことから。 「志(こころざし)千里(せんり)に在(あ)り」とも読む。
「千里」を含む故事・ことわざ・慣用句
悪事千里を走る(あくじせんりをはしる)
悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。 「悪事千里を行く」ともいう。
牛も千里馬も千里(うしもせんりうまもせんり)
早い遅い、上手い下手の違いがあっても結局は同じところに到達するというたとえ。牛がゆっくりと歩いても馬が早く走っても千里の道のりはやはり千里で、同じ目的地に着くことから。
昔千里も今一里(むかしせんりもいまいちり)
すぐれた人も、年をとれば凡人に劣ってしまうということ。 昔は千里を行くことができた駿馬も、今では一里しか行くことができないとの意から。
千里の堤も蟻の穴から(せんりのつつみもありのあなから)
守りの長さは、いちばん弱いところ一点で決まる。 どれだけ手を掛けた造りでも、放っておいた小穴から失われる。
囁き千里(ささやきせんり)
内緒話は漏れやすく、すぐに遠くまで伝わってしまうということ。 小声でひそひそ話したことが、またたく間に遠く千里も離れた所にまで伝わるとの意から。
千里眼(せんりがん)
はるか遠くの出来事や、人が胸の内に伏せていることまで見通してしまう力。また、それを備えた人。 後魏の楊逸は、手下を各地に忍ばせて役人の動きを残らずつかんでいた。そうとは知らぬ人々が、あの人の目は千里の先まで届くと恐れた。
籌を帷幄に運らし、勝ちを千里の外に決す(はかりごとをいあくにめぐらし、かちをせんりのほかにけっす)
幕舎の奥で策を巡らすだけで、はるか彼方の戦の勝敗を決めてしまうこと。前線に出ずに全体を動かす、参謀の働きをいう。 漢の高祖が張良の力量をこう言い表した。「籌」ははかりごと、「帷幄」は幕で囲った将の居所のこと。
好事門を出でず、悪事千里を行く(こうじもんをいでず、あくじせんりをいく)
人の手柄はうちわの内に留まりがちなのに、しくじりや悪評のほうは遠い土地まで駆け抜けてゆく。世間の耳は、悪い話にこそよく開いている。
縁あれば千里(えんあればせんり)
結ばれる巡り合わせさえあれば、どれほど隔たった土地の相手とも縁はつながるということ。 「縁あれば千里を隔てても会い易し、縁なければ面を対しても見え難し」を縮めた言い方。
蒼蠅驥尾に付して千里を致す(そうようきびにふしてせんりをいたす)
才能のない人でも、すぐれた人に付き従っていれば、自分の能力以上のことが成し遂げられることのたとえ。自分の行動を謙遜していう言葉。 「驥」は、一日に千里走る駿馬のこと。 青蠅が駿馬の尾につかまって、一日で千里先まで行ったという故事から。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
千里の馬も蹴躓く(せんりのうまもけつまずく)
名うての腕前を持つ者でも、ふとした拍子に足をとられる。 「千里の馬」は一日に千里を行くという名馬。その名馬さえ、道に転がる小石一つで体勢を崩すという。
千里の馬も伯楽に会わず(せんりのうまもはくらくにあわず)
一日で千里を走る脚があっても、それを見て取る目に行き当たるとは限らない。 腕を持て余したまま埋もれている当人が、我が身を嘆いて口にする。 「伯楽」は、馬の善し悪しを見抜き乗りこなす名人。
千里の野に虎を放つ(せんりののにとらをはなつ)
後々の禍のたねになるものを、手もつけずに放り出しておくたとえ。 果てしなく広がる野へ虎を解き放てば、もう捕らえようがない。「虎を野に放つ」ともいう。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里という遠い道のりも、最初に出す片足から歩みが始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
千里一跳ね(せんりひとはね)
一息に事を成し遂げて、たちまち高みへ躍り出ること。 大きな鳥はひとたび羽ばたけば千里の先まで行ってしまう。その一飛びに人の出世を重ねた言い方。
虎は千里行って千里帰る(とらはせんりいってせんりかえる)
勢いが盛んで力強い行動力のたとえ。また、子を思う親の愛情深い行動力のたとえ。虎は一日に千里の道を進み、その後、再び同じ距離を戻ってくると言われることから。
虎は千里の藪に栖む(とらはせんりのやぶにすむ)
優れたものは、広々として奥深い所にいるということ。虎は千里もあるような広い藪にすんでいるということから。
惚れて通えば千里も一里(ほれてかよえばせんりもいちり)
好きな人に会いに出かけるときは、長い道のりもまるで短く感じられ、少しもつらくないということ。もとは昔のはやり歌の文句で、会えずに帰る道はまた千里にも思えるという句が後に続く。
老驥櫪に伏すとも志千里に在り(ろうきれきにふすともこころざしせんりにあり)
脚の速い馬は歳を重ねて厩の横木につながれても、なお遠くまで駆ける日を思っている。体が衰えたからといって、胸の内の望みまで縮むことはない。
毫釐の差は千里の謬り(ごうりのさはせんりのあやまり)
出だしのほんの食い違いが、行き着く先では埋めようのない開きになる。 毫も釐も、ごく小さな量を表す単位。
唐物商いは千里一跳ね(からものあきないはせんりひとはね)
舶来の品を扱う商いは、当たれば一度に途方もない儲けが転がり込むということ。 「唐物」は中国渡りの品、「千里一跳ね」はひと跳びで千里を行く意。
牛の歩みも千里(うしのあゆみもせんり)
進み方はのろくても、怠けずに一歩ずつ取り組んでいけば、やがては大きな目標に手が届くというたとえ。 歩くのが遅い牛であっても、止まらずに歩みをつづけるなら、千里もの遠くへ行き着ける、という姿を借りた言葉。「千里」は、とても遠い距離のこと。 ただ歩みがのろいことだけを言う[[牛の歩み*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/469.php]]とはちがい、こちらは続けることの大切さに重きを置く。同じく牛と千里を使う[[牛も千里馬も千里*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/473.php]]は、速い遅いの差はあれ、最後はみな同じ所へ着くと説く句で、言いたいことの中心が異なる。
驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ち亦之に及ぶ(きはいちじつにしてせんりなるも、どばもじゅうがすればすなわちまたこれにおよぶ)
生まれつきの力が人より劣っていても、休まず地道に努力を続けていれば、すぐれた力を持つ人とやがて肩を並べられる、ということ。 「駑馬」は、歩みののろい、平凡な馬。「十駕」は、車を引く馬を十日間続けて走らせること。すぐれた馬は一日に千里も走りぬけるが、のろい馬でも十日続けて進めば、同じ道のりを行き終えられる。そうした馬どうしの比べ方から、この句ができた。 中国の思想書『荀子』の言葉で、勧学篇と修身篇という二つの章に、どちらも「駑馬十駕」の句が出てくる。原文の[[駑馬十駕*https://yoji.jitenon.jp/yojii/4365]]は、四字熟語としてもそのまま使われ、意味もこの句と同じ。 修身篇の一節を漢文の読み方どおりに読んだ「驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ち亦之に及ぶ」とも言う。「驥」は、とびきり足の速い名馬のこと。
車は三寸の轄を以て千里を駆く(くるまはさんずんのくさびをもってせんりをかく)
ちっぽけで目立たないものが、じつは全体を支えるほどの大事な働きを担う、というたとえ。見た目の大小だけで値打ちを低く決めつけるな、との戒めの意味も含む。 車軸の端に差しこみ、車輪が外れ落ちるのを止めているくさびは、長さが三寸、およそ九センチほどしかないのだが、これがあるおかげで車は千里もの遠い道のりを走りぬけられる。句はこの車のしくみにちなむ。 「三寸の轄」と短く言えば、物事のかなめ、つまり欠かせない大事な部分のことになる。 由来を同じくする四字熟語に[[三寸之轄*https://yoji.jitenon.jp/yojik/5488]]がある。見かけは小さくても侮れない点で、[[山椒は小粒でもぴりりと辛い*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3179.php]]と重なり合う。
