「五」の意味

「五」(ご)の意味・読み方を解説します。
五
ご
| 言葉 | 五 |
|---|---|
| 読み方 | ご |
| 意味 | 数を数える時の四の次であり、六の前の数。 |
| 用例 | 「五感」「五体」 |
「五」で使われている漢字
「五」を含む四字熟語
四書五経(ししょごきょう)
代表的な儒教の経典のこと。 「四書」は「大学」、「中庸」、「論語」、「孟子」のこと。 「五経」は時代によって異説あるが漢以降は、「易経」、「詩経」、「書経」、「礼記」、「春秋」のこと。
十風五雨(じゅうふうごう)
十日ごとに風が吹き、五日ごとに雨が降る、農耕に適した天候のこと。 または、世の中が平和で穏やかな状態であることのたとえ。
四分五裂(しぶんごれつ)
国や秩序などが乱れてまとまりがなくなり、ばらばらに分裂すること。
五穀豊穣(ごこくほうじょう)
穀物が充分に実ること。 「五穀」は米、麦、粟、豆に黍(きび)または稗(ひえ)を加えた五つのことで、人間が主食とする五種類の代表的な穀物のこと。具体的な穀物名を指さずに穀物の総称として用いることもある。 「豊穣」は穀物が充分に実ること。
五臓六腑(ごぞうろっぷ)
人間の全ての内臓のこと。または、心の中のこと。 「五臓」は心臓、肺臓、肝臓、腎臓、脾臓の五つの内臓。 「六腑」は大腸、小腸、胃、胆嚢、膀胱、三焦の六つの内臓。
五風十雨(ごふうじゅうう)
五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降る、農耕に適した天候のこと。 または、世の中が平和で穏やかな状態であることのたとえ。 「五風」は五日に一度風が吹くこと。 「十雨」は十日に一度雨が降ること。
五里霧中(ごりむちゅう)
物事の状況が全くわからず、判断に困ること。または、そのような状況。 「五里霧」は五里にも渡って周囲が霧で覆われていること、「中」はその霧の中にいること。 霧の中にいて、先もよく見えず方向もよくわからない状態という意味から。 後漢の道士の張楷が五里霧という仙術を使い、周囲五里を霧で覆ったという故事からきた言葉。
五陰盛苦(ごおんじょうく)
人の心と体をつくる五つの要素から生まれる苦しみ。仏教でいう八苦の一つ。 「五陰」は、物質をいう「色」、感覚をいう「受」、心に浮かぶ像をいう「想」、欲求をいう「行」、意識をいう「識」の五つ。 生きて心身がはたらいているかぎり、苦しみは次々とわいてくるとする。 「五蘊盛苦」「五盛陰苦」ともいう。
五行相剋(ごぎょうそうこく)
この世の全てのものの根源の要素が互いに力を減じ合うこと。 「五行」は全てのものの根源の要素とされる、木・火・土・金・水の五つの要素のこと。 「相剋」は木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つということ。 自然現象や社会の変化などを説明したり、王朝をたとえて移り変わりを理論付けたりした。 「五行相克」とも書く。
敦煌五竜(とんこうごりょう)
中国の晋の時代、朝廷が設置した官吏を養成する大学で、評価が高かった敦煌出身の五人の総称。 「燉煌五竜」とも書く。
五山十刹(ござんじっせつ)
禅宗の寺の格式。また、上位に格付けされた寺々。 朝廷や幕府が住持を任命する官寺のうち、最も格の高い五つの寺を「五山」、それに次ぐ寺を「十刹」という。 「十刹」ははじめ十の寺だったが、のちに数が増えた。 中国の南宋で行われていた官寺の制度にならったもので、日本では鎌倉時代の末ごろから使われるようになった。
五濁悪世(ごじょくあくせ)
末世のこと。 仏教の言葉で、五つの汚れに満ち溢れた世界ということから。 「五濁」は劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁という、この世に表れるとされる五つの汚れのこと。
五体投地(ごたいとうち)
礼拝の形式の一つのことで、頭と両肘、両膝を地面につけて行う礼拝。 仏教で最高の礼拝とされている。
三綱五常(さんこうごじょう)
儒教の言葉で、人として守るべき道徳と、常に行うべき道義のこと。 「三綱」は主君と臣下、父親と子、夫と妻の間の三つの道徳のこと。 「五常」は仁、義、礼、智、信の常に行うべき五つの道義のこと。
三三五五(さんさんごご)
少数の人たちが固まって行き来する様子のこと。 または、人や物などがあちこちに散らばっている様子。 あっちに三、こっちに五という意味から。 「三々五々」とも書く。
天人五衰(てんにんのごすい)
天人が死ぬ時に現れるとされている、五つの死相のこと。 「天人」は仏教の言葉で、六道で最も上にある天道に住む人。 「五衰」はいくつかの説があり、『大般涅槃経』では、着ている服が垢で汚れ、脇から汗が出て、体がくさくなり、頭の上にある花が萎れ、自分のいるべき場所のことを好きでなくなるという五つのことをいう。
馬氏五常(ばしごじょう)
兄弟全員が優秀なこと。 中国三国時代、蜀の馬氏の五人兄弟はみな優秀であり、全員の字(あざな)に「常」の字がついていた。 中でも、馬良はひときわすぐれており、幼い頃から眉に白い毛が混ざっていたことから「白眉」と呼ばれ、「馬氏の五常、白眉最も良し」といわれたという故事から。
陰陽五行(いんようごぎょう)
この世の全てのものを造り出す陰と陽の気と、この世の全てを生み出す元となる木・火・土・金・水の五つの元素のこと。 古代中国では、これらの関わり合いで、全ての物事の解釈や説明をしようとしていたということから。
三令五申(さんれいごしん)
何度も繰り返して説明して諭すこと。 「申」は繰り返すという意味。 三回命じて五回言い聞かせるという意味から。
三老五更(さんろうごこう)
高い徳を積んでいる長老のこと。 「三老」と「五更」はどちらも中国の周の時代の長老の異称。 「三老」は臣下の最高位の三公、「五更」は引退した卿の地位をもっていた人の呼称とされているが、様々な説がある。
五蘊皆空(ごうんかいくう)
この世の全ての存在や現象は、実体などなく全てのものは空であるという仏教の言葉。 「五蘊」は人の体と精神を構成する五つの要素のこと。 全ての物質をいう「色」、感覚をいう「受」、心の中に浮かぶ像をいう「想」、欲求をいう「行」、意識をいう「識」の五つ。
五分五分(ごぶごぶ)
どちらも同等で、優劣のないこと。 または、二つのものの可能性が同じくらいあること。
五倫五常(ごりんごじょう)
人として守るべき道徳のこと。 「五倫」は五つの道徳法則のことで、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。 「五常」は五つの徳目で、仁、義、礼、智、信。 どちらも儒教の教え。
五倫十起(ごりんじっき)
公平で清く正しい人でも私心はあるということ。 「五倫」は人の名前。 中国の後漢の第五倫は公平で清廉な人物として知られていたが、ある時、あなたにも私心があるのかと聞かれ、兄の子が病気で一晩に十回起きて看病しても、寝床に戻ればよく眠れるが、自分の子どもの時は心配で眠れなかったので、私心がないとは言えないと答えたという故事から。
四肢五体(ししごたい)
体全体のこと。 「四肢」は両手と両足ということから、全身のたとえ。 「五体」は全身のことで、体の筋、脈、肉、骨、毛皮の五つの部分をいう。一説には、頭、頸、胸、手、足の五つや、頭と両手両足の五つとする場合もある。
十誡五倫(じっかいごりん)
キリスト教の十の戒律と、儒教の人として守るべき五つの道。 「十誡」はキリスト教でモーセが神から与えられた戒律のこと。 「五倫」は孟子によって提唱された五つの道徳法則のこと。 「十戒五倫」とも書く。
四分五散(しぶんごさん)
国や秩序などが乱れてまとまりがなくなり、ばらばらに分裂すること。
十悪五逆(じゅうあくごぎゃく)
十の悪い行いと、五つの憎むべき罪。 「十悪」は殺し、盗み、不純な異性関係、嘘、戯れ言、乱暴な言葉、陰口、貪欲、怒りや憎しみ、誤った見解のこと。 「五逆」は五逆罪の略で、母親殺し、父親殺し、聖人殺し、仏を傷つけて出血させる、教団を破壊するという地獄に落とされる五つの重罪のこと。
十逆五悪(じゅうぎゃくごあく)
十の悪い行いと、五つの憎むべき罪。 「十逆」は殺し、盗み、不純な異性関係、嘘、戯れ言、乱暴な言葉、陰口、貪欲、怒りや憎しみ、誤った見解のこと。 「五悪」は母親殺し、父親殺し、聖人殺し、仏を傷つけて出血させる、教団を破壊するという地獄に落とされる五つの重罪のこと。
九寸五分(くすんごぶ)
短刀のこと。 「寸」と「分」は長さの単位で、短刀の長さと同じということから。
五角六張(ごかくろくちょう)
何をしてもうまくいかない縁起の悪い日のたとえ。 または、物事がうまく進まないこと。 星座によって二十八方位に分割したものの中の二つ、「角」と「張」のことで、どちらも物事がうまく進まない日とされている。 五日に角宿にあい、六日に張宿にあうという意味から。
五趣生死(ごしゅしょうじ)
人々が自ら作った善悪が原因で、五つの世界に生まれ変わること。 「五趣」は仏教の言葉で、生き物が自身で作った功績と罪、過ちによって死後に生まれ変わる五つの世界、地獄、餓鬼、畜生、人、天のこと。 「生死」は生きることと死ぬこと。または、生と死を繰り返すこと。
五障三従(ごしょうさんじゅう)
女性が持っているとされていた五つの障害と、女性が従わされていた三つのこと。 「五障」は仏教の言葉で、梵天、帝釈天、魔王、転輪聖王、仏のことで、この五つは女性がなれないとされていた。 「三従」は幼少時は親に従い、結婚後は夫に従い、老いたら子に従うべきということ。
五方雑処(ごほうざっしょ)
大都市の生活の複雑な様子。 「五方」は東、西、南、北、中央の五つということから、あらゆる地方のたとえ。 「雑」は入り混じっていること。 「処」は住むこと。 あらゆる地方の人々や文化が、一つの大きな都市に入り交じって住むという意味から。
一発五豝(いっぱつごは)
一度矢を放つことで五頭の猪(いのしし)を仕留めること。または、五頭だけに抑えて他を見逃すこと。情け深い人の狩りのたとえ。 「一発」は一本ではなく、一度矢を放つこと。 「豝」は雌、または、太った猪のこと。 「五豝(ごは)に一発す」とも読む。 「壹発五豝」とも書く。
五行相生(ごぎょうそうしょう)
五行説で、木・火・土・金・水が、それぞれ、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生み、と互いに力を増やす関係のこと。
五行並下(ごぎょうへいか)
読書の速度が非常にはやいこと。 一度に五行の文章を読むということから。 「五行(ごぎょう)並び下る」とも読む。 中国の後漢時代、応奉は一度に五行の文章を読み、読んだ内容を決して忘れず、役人になった時には罪人数千人分の名前と罪名を暗記して裁いたという故事から。
「五」を含む故事・ことわざ・慣用句
御意見五両、堪忍十両(ごいけんごりょう、かんにんじゅうりょう)
他人の意見をよく聞いて何事にも耐えることが大事だというたとえ。 人の忠告は五両の値打ちがあり、辛いことや怒りを耐え忍ぶことは十両の値打ちがあるということ。
会えば五厘の損がゆく(あえばごりんのそんがゆく)
人との交際は何かと出費があり損をするということ。知人に会うと、それだけで五厘(一銭の半分)の損をするとの意から。
夢は五臓の煩い(ゆめはごぞうのわずらい)
眠っているあいだに見るものは、からだの内側が弱っているしるしだと、昔から言われてきた。 寝覚めの悪い夢を見た人をなだめるのに持ち出す。
一寸の虫にも五分の魂(いっすんのむしにもごぶのたましい)
どんなに小さくて弱いものにも、それ相応の意地や考えがあるので侮ってはいけないということ。 わずか一寸の虫でもからだ半分の五分の魂があるとの意から。
三五の十八(さんごのじゅうはち)
計算が合わないことや見込み違いのたとえ。
一升の餅に五升の取り粉(いっしょうのもちにごしょうのとりこ)
主となるものより、それに付随するもののほうが多く必要であることのたとえ。 「取り粉」は、つきたての餅がねばりつかないようにつける粉。 一升の餅をつくためには五升の取り粉が必要になることから。
堪忍五両、思案十両(かんにんごりょう、しあんじゅうりょう)
こらえることに五両、思案をめぐらすことに十両。腹立ちを抑えるだけでも上出来だが、その先まで見通して動けるなら値打ちはその倍になる。 金高に置き換えて、我慢どまりにせず知恵を働かせよと説いたもの。
堪忍五両、負けて三両(かんにんごりょう、まけてさんりょう)
こらえきれれば五両、そこまで及ばずとも争わずに引き下がるだけで三両。突っかからずに身を退くふるまいには、それだけの値が付いている。 損得の勘定に直して、事を荒立てずにすませておくほうがよいと諭した言い方。
五臓六腑に染み渡る(ごぞうろっぷにしみわたる)
口にしたものが体じゅうに行きわたるように感じられること。とくに酒についていう。 転じて、心の底まで深く感じ入ることにもいう。 「五臓六腑」は五つの内臓と六つのはらわたで、あわせて体の中すべてを指す。
五斗米のために腰を折る(ごとべいのためにこしをおる)
わずかな俸禄を得るために、人の機嫌をとってぺこぺこ頭を下げること。 中国東晋の詩人陶淵明が、上役が視察に来るので礼服を着るよう求められた時、五斗米のために腰を折ってへつらうのは嫌だと言って断ったという故事から。 「五斗米」は五斗の米、転じてわずかな給料のこと。
五両で帯買うて三両で絎ける(ごりょうでおびこうてさんりょうでくける)
本体そのものより、それを使えるようにするための手間賃のほうがかさんでしまうということ。 五両を出して帯を買い、仕立てにさらに三両を足す羽目になる、という勘定である。「絎ける」は、縫い目を表に出さずに縫い合わせること。
三寸の舌に五尺の身を亡ぼす(さんずんのしたにごしゃくのみをほろぼす)
口を滑らせた一言が跳ね返り、築き上げた地位も暮らし向きも根こそぎ奪ってしまう。
千石万石も米五合(せんごくまんごくもこめごごう)
禄高がいくら増えても、日ごとの膳に載る量までは増えない。取り分の多さと暮らしの実際とは、初めから別のことである。
手酌五合、髱一升(てじゃくごごう、たぼいっしょう)
手酌では五合しか飲めないが、若い女性の酌では一升でも飲んでしまうということ。「髱」は日本髪の後ろに張り出している部分で、転じて、若い女性の意。
早起き三両、倹約五両(はやおきさんりょう、けんやくごりょう)
早起きと倹約はどちらも大きな利益になるというたとえ。 「朝起き三両始末五両」ともいう。
非力十倍、欲力五倍(ひりきじゅうばい、よくりきごばい)
せっぱ詰まったとき、非力な者でも普段では出せない力が湧く。欲に駆られたときも同じで、そちらはやや控えめに働く。
五指に余る(ごしにあまる)
めぼしいものや優れたものなどが五つ以上あることのたとえ。
五本の指に入る(ごほんのゆびにはいる)
優れていることのたとえ。良いほうから数えて五番以内に入ることのたとえ。 「五指に入る」ともいう。
四の五の言う(しのごのいう)
あれやこれやと不平や不満などの文句を言うこと。
石鼠五能一技を成さず(せきそごのういちぎをなさず)
手が広いばかりで、どの道でも人に抜きん出るところまで行き着かない。「石鼠」はけらの別名で、この虫は空を行くことも土を掘ることも水を渡ることもできるが、五つ数え上げてどれも半端なまま終わっている。
呉服五層倍(ごふくごそうばい)
呉服屋の商いは元手に比べて売値が高く、もうけが大きいということ。「呉服」の「ご」に「五」を掛けた言葉遊びで、五倍で売るという意味そのものではない。
