「心」の意味・対義語

「心」(こころ)の意味・読み方を解説します。対義語もあわせて確認できます。
心
こころ
| 言葉 | 心 |
|---|---|
| 読み方 | こころ |
| 意味 |
|
「心」の対義語(反対語)
- こころ心

- み身
※広義での対義語(反対語)も含まれます。
「心」で使われている漢字
「心」を含む四字熟語
機械之心(きかいのこころ)
「機械」は巧妙な仕組みの器具のことから、たくらみや偽り、たくらみ偽る心のこと。 または、策略をめぐらす考え。
区区之心(くくのこころ)
「区」は小さな区画という意味で、「区区」は小さくて取るにたらないということから、取るにたらない小さな心のこと。 自分の考えや心のことを謙遜していう言葉。
狗馬之心(くばのこころ)
地位が上の者への忠誠心、誠意のこと。 「狗馬」は犬と馬のことで、犬や馬のように恩を忘れず主人に仕えて、少しずつでも恩返しをするという意味。 君主に対する自分の忠誠を自らを卑下していう言葉。
匪石之心(ひせきのこころ)
自分の信念を堅く守り、決して揺らぐことのない心のこと。 石のように転がることがない心という意味から。
惻隠之心(そくいんのこころ)
他人を思いやったり、同情する心のこと。 「惻隠」は人をいたわったり、思いやること。 孟子の性善説の四端説の一つで、「惻隠の心は仁の端なり」を略した言葉。
是非之心(ぜひのこころ)
物事の善と悪をしっかりと判別できる能力のこと。 「是非」は正しいことと、間違っていること。
犬馬之心(けんばのこころ)
主君への忠誠心のこと。 犬や馬が飼い主に示す忠誠心ということから。 自身の忠誠心を謙遜していう言葉。
忿忿之心(ふんぷんのこころ)
激しく怒っているときの心。 「忿忿」は怒ったり、恨んだりしている時の様子。
辞譲之心(じじょうのこころ)
自分の立場や境遇から退いて、それを他者に譲ろうとする心。 儒教の「礼」の糸口とされる言葉。
「心」を含む故事・ことわざ・慣用句
搗いた餅より心持ち(ついたもちよりこころもち)
品物をもらったことより、その心づかいがなおうれしいということ。
顔で笑って心で泣く(かおでわらってこころでなく)
泣きたいほどつらくても顔では笑ってみせるということ。
諦めは心の養生(あきらめはこころのようじょう)
失敗や不運をくよくよ考えるより、きっぱり諦めたほうが精神的に良いということ。
四月の中の十日に心なしに雇われるな(しがつのなかのとおかにこころなしにやとわれるな)
四月の中旬頃は日が長いので、思いやりのない人に雇われるといつまでも働かされるので気をつけよということ。また、その頃の日中の時間が長いことをいう。
親思う心にまさる親心(おやおもうこころにまさるおやごころ)
子どもが親を思う気持ちよりも、親の子どもに対する愛情のほうがより深いというたとえ。「親思う心にまさる親心けふの音づれ何ときくらん」という吉田松陰の辞世の歌から。
親の心、子知らず(おやのこころ、こしらず)
子どもを思う親の深い愛情を知らず、子どもは勝手気ままなことをするということ。
口は口、心は心(くちはくち、こころはこころ)
言うことと、心の中で思っていることとが一致しないこと。
我が心石に非ず、転ずべからず(わがこころいしにあらず、てんずべからず)
心が確固として不動であることのたとえ。 自分の心は石ではないから、転がして動かすことはできないということ。
頭剃るより心を剃れ(あたまそるよりこころをそれ)
外見より精神が大事だということ。 頭を剃って姿だけ僧になるより、まず心を清めよということ。 僧の衣の色づけにたとえて、同じことを説く句に「衣を染めんより心を染めよ」もある。
恋は心の外(こいはこころのほか)
恋愛は理性を失わせるため、常識や理屈で理解できるものではないということ。 「恋」は「色」、「思案」は「心」ともいう。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
今できることを明日に延ばしていると、その機会は二度と来ないかもしれないということ。思い立ったらすぐ行えという戒め。 また、人の命がいつまで続くか分からないことのたとえ。 咲きそろった桜も、その夜のうちに嵐が来れば残らないとの意から。 歌は「夜半に嵐の吹かぬものかは」と続く。親鸞が詠んだものと伝える。
猫は虎の心を知らず(ねこはとらのこころをしらず)
つまらない人間には、大人物の心の中はわからないということのたとえ。
奢る者は心常に貧し(おごるものはこころつねにまずし)
贅沢な生活を好む者は、満足することを知らず、満たされずに常に不平不満の気持ちを持ち続け、その心は貧しいということ。
人の心は面の如し(ひとのこころはおもてのごとし)
人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。
人の心は九分十分(ひとのこころはくぶじゅうぶ)
人間の考えることはどれも似たようなもので、大きな差はないということ。 「人の心は九合十合」「世の中の人の心は九合十合」ともいう。
見ぬが心憎し(みぬがこころにくし)
何事も、まだ目にしないうちに胸の内でいろいろと思い描いているときこそ、いちばん心が浮き立つということ。 「見ぬが心憎し」ともいう。
人は見目よりただ心(ひとはみめよりただこころ)
顔立ちが整っているかどうかより、心がけや思いやりのほうがずっと大事だということ。 「見目」は見た様子、顔立ちのこと。 単に「見目より心」ともいう。
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
地獄極楽は心にあり(じごくごくらくはこころにあり)
地獄や極楽は、人の心の中に存在する。つまり、心の持ちようで、地獄にも極楽にもなるということ。
女の心は猫の目(おんなのこころはねこのめ)
女の心は気まぐれで変わりやすいことのたとえ。 女心は、猫の目が光によって形が変化するように変わりやすいとの意から。
気は心(きはこころ)
少ない量でも真心をこめているということ。贈り物をする時に使う言葉。
心内にあれば色外に現る(こころうちにあればいろそとにあらわる)
腹に抱えたものは、目もとや身のこなしに滲み出る。隠しおおせたつもりでも、外からは知れてしまう。
目は心の鏡(めはこころのかがみ)
人の目をのぞけば、その人の心が正しいか、よこしまかが読み取れるということ。 目には心のありさまが隠しようもなく現れることから。
心ここに在らざれば視れども見えず(こころここにあらざればみれどもみえず)
上の空のままでは、そこにあるはずのものも像を結ばない。気を向けていない相手からは、何ひとつ受け取れない。
心につるる姿(こころにつるるすがた)
心のありさまは外見に現れるということ。 「つるる」は「連れる」、伴うという意味。 心が美しいと姿も美しくなり、心が醜いと姿も醜くなるとの意から。
心の鬼が身を責める(こころのおにがみをせめる)
良心に責められることのたとえ。「心の鬼」は、良心の呵責の意。
心の駒に手綱許すな(こころのこまにたづなゆるすな)
過ちを犯さないように、常に心を引き締めよということ。 「駒」は馬のこと。心を馬にたとえて、放っておくと悪い方へ走りがちなので、手綱を引き締めて制御せよとの意から。
心の師とはなれ心を師とせざれ(こころのしとはなれこころをしとせざれ)
自分の心は自ら律するべきであり、心のままに感情に流されてはいけないということ。
心の欲する所に従えども矩を踰えず(こころのほっするところにしたがえどものりをこえず)
自分の心の思うままに行動しても、決して道徳から外れないということ。
心は二つ身は一つ(こころはふたつみはひとつ)
望みは際限なく増えるのに、それを担う当人は増えない。欲を出しても、こなせる量には限りがあるとあきらめるときにいう。
心ほどの世を経る(こころほどのよをへる)
日ごろ何を思って過ごすかが、そのまま行き着く先を決める。 歩んだ道は、抱いてきたものの大きさにおのずと収まる。
心を鬼にする(こころをおににする)
相手のためにわざと厳しい態度をとること。
言葉は心の使い(ことばはこころのつかい)
心に思っていることは、自然に言葉に表れるということ。
子の心、親知らず(このこころ、おやしらず)
親はとかく、子どもの本当の心や考えを察知することは出来ないということ。
子は産むも心は生まぬ(こはうむもこころはうまぬ)
腹を痛めて生み落とせるのはからだまでで、その子がどんな心根に育つかまでは産んだ者の手が届かない。 親と似ても似つかぬ性分の子を持った者が、ため息まじりに言う言葉。
財布の底と心の底は人に見せるな(さいふのそことこころのそこはひとにみせるな)
うまく世間を渡るためには、自分の財産や心のうちを他人に知られてはいけないということ。
財布の紐は首に掛けるより心に掛けよ(さいふのひもはくびにかけるよりこころにかけよ)
財布の紐を首に掛けて金を盗まれないようにするより無駄遣いしないように心がけるほうが大事だということ。
竹と人の心の直ぐなのは少ない(たけとひとのこころのすぐなのはすくない)
竹は意外に真っ直ぐなものは少なく、人も心が曲がらず正直な者は少ないということ。
胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す(たんはだいならんことをほっし、こころはしょうならんことをほっす)
度胸は大きく持ちたいし、注意は細やかでありたいということ。 「胆大心小」ともいう。
年は寄れども心は寄らぬ(としはよれどもこころはよらぬ)
年はとっても、気力はまだ衰えていないということ。
襤褸を着ても心は錦(ぼろをきてもこころはにしき)
たとえぼろぼろの衣服を着ていても心の中は錦を着ているように美しい。外見よりも内面が大事だということ。
心が重い(こころがおもい)
心に負担を感じて気持ちが沈むさま。 「心が重い」ともいう。
犬馬の心(けんばのこころ)
仕える相手のためなら骨身を惜しまない、飼い主に付き従う獣さながらの一途な心。 受けた引き立てに、働きで返そうとする側の思いをいう。
心が洗われる(こころがあらわれる)
心の中の穢(けが)れがなくなり、爽やかで清々しい気分になること。
心が動く(こころがうごく)
考え方や気持ちなどが揺さぶられること。 「心が動かされる」ともいう。
心が通う(こころがかよう)
お互いに気持ちを理解しあって、通じあうこと。 「心が通ずる」ともいう。
心がこもる(こころがこもる)
その人の誠意が十分に満ちていること。
心が騒ぐ(こころがさわぐ)
よくないことが起こりそうな予感がして、気持ちが落ち着かず不安になること。
心が弾む(こころがはずむ)
楽しいことや嬉しいことがあって、気持ちがうきうきすること。 「気が弾む」ともいう。
心が乱れる(こころがみだれる)
気がかりや思いがけない出来事のために、落ち着いた気持ちでいられなくなること。 落ち着きを失う側から言う言い方。
心に浮かぶ(こころにうかぶ)
ふと思いだしたり、思いついたりすること。
心に刻む(こころにきざむ)
戒めや忠告を、後から消せない形で自分の内側へ彫り込む。折に触れて呼び起こしては、二度と踏み外さぬための支えとする。
心に留める(こころにとめる)
言われたことを、その場かぎりにせず自分の側へ引き取っておく。入り用になったときすぐ取り出せるよう、しまい場所を決めて置いておくことをいう。
心に残る(こころにのこる)
強い感動や印象を受け、そのことをいつまでも忘れることができない。
心を合わせる(こころをあわせる)
こころを一つにすること。
心を致す(こころをいたす)
心を込めて、物事にあたること。
心を痛める(こころをいためる)
あれこれ思い悩んだり、心配したりすること。
心を入れ替える(こころをいれかえる)
今までの悪い態度や考えを改めること。
心を動かす(こころをうごかす)
興味関心を誘われて、その気になること。 または、感動して心を打たれること。 また、動揺して心が乱れること。
心を打つ(こころをうつ)
見聞きした人に強い影響や感銘をあたえること。
心を移す(こころをうつす)
これまでとは別の対象に気持ちや愛情、関心などを向けること。
心を躍らせる(こころをおどらせる)
期待や喜び、楽しさなどで胸がわくわくすること。
心を傾ける(こころをかたむける)
一つのことに集中すること。
心を砕く(こころをくだく)
あれこれと考えたり気を遣ったりして、非常に苦心することのたとえ。
心を配る(こころをくばる)
細かいところまで配慮したり、注意を払ったりすること。
心を汲む(こころをくむ)
相手の思っていることを推察すること。
心を引かれる(こころをひかれる)
あることに関心をもち、思いを寄せること。
心を乱す(こころをみだす)
気がかりや誘惑にとらわれて、自分で落ち着きを保てなくなること。 また、人の落ち着きを奪うこと。落ち着きを失う側から言う「心が乱れる」に対して、こちらは乱す側からもいえる。
心を許す(こころをゆるす)
相手を信じて、隔てを置かずに付き合うこと。親しさに重きがある。油断する意で使うこともある。 同じような言い方に「気を許す」がある。
心を寄せる(こころをよせる)
ある人に好意をよせること。慕わしく思うこと。
吾が心秤の如し(わがこころはかりのごとし)
自分の心は秤(はかり)と同じで、だれに対しても重い軽いの差をつけないということ。 えこひいきをせず、自分の好みや感情で判断をゆがめないという意味。
我が心を獲たり(わがこころをえたり)
他人の言葉や行いが、自分の心にぴったり適っていること。
大人は赤子の心を失わず(たいじんはせきしのこころをうしなわず)
高徳の人は、生まれ持った純粋な心をいつまでも失わないということ。また、君主たる者は、赤子を慈しむように民を大切にし、その気持ちに寄り添うということ。
心に掛ける(こころにかける)
相手や物事から関心が離れず、折にふれて案じること。
心にもない(こころにもない)
口にした言葉と腹の中とが、まるで別であるさま。
心の仇は心(こころのあだはこころ)
人を追い詰めるものは外にはない。みずからの欲や迷いこそが敵である。
心を奪われる(こころをうばわれる)
一つのものに惹きこまれて、ほかへ意識が向かなくなること。
心に笠着て暮らせ(こころにかさきてくらせ)
笠をかぶれば、頭より上のものは目に入らない。そのように、おのれの丈を越えたものへは目を向けず、いま手の内にあるだけで事足りるとして日を送れ。
三日向顔せざればその心測り難し(さんじつこうがんせざればそのこころはかりがたし)
しばらく会わずにいるだけで、相手の胸の内はもう読めなくなる。 人の気持ちほど当てにならないものはない。 「向顔」は顔を突き合わせる意。
二千里の外、故人の心(にせんりのほか、こじんのこころ)
はるかな道のりを隔てた昔なじみを、月の下で胸に思い浮かべること。 白居易が中秋の名月に独り向かい、二千里の彼方にいる元稹を偲んで詠んだ句から。
人は心が百貫目(ひとはこころがひゃっかんめ)
見た目よりも、内側の持ちようのほうが重いということ。 「貫」は銭を数える単位で、百貫目ともなれば大変な額。それを心の重さに当てはめたもの。
辞譲の心は礼の端なり(じじょうのこころはれいのたんなり)
自分が退いて相手に先をゆずろうとする気持ちは、やがて礼というかたちに育っていく種であるということ。 人が生まれつき備えている四つの善い心の一つとして説かれる。
夫の心と川の瀬は一夜に変わる(おっとのこころとかわのせはいちやにかわる)
夫が妻に向ける愛情は、川の浅瀬が一晩で姿を変えるのと同じで、たちまち、がらりと変わりかねない。 「瀬」は川の浅いところのこと。水の流れの具合しだいで、その位置や形が動きやすい。 「夫」を「男」に替えて、「男の心と川の瀬は一夜に変わる」の形も昔から用いられる。秋の空の変わりやすさにたとえた[[男心と秋の空*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1535.php]]と同じ趣旨の言葉。
形は生めども心は生まぬ(かたちはうめどもこころはうまぬ)
親と子は顔立ちや体つきこそよく似ていても、気立てや物の考え方、頭のはたらきは親とは別物で、子の性格までが親の写しになるとは言えない。 親が産んで子に渡せるのは目に見える体だけで、心までは渡せないというのが句の成り立ち。 漢字の書き方は「形は産めども心は産まぬ」もある。「[[子は産むも心は生まぬ*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3118.php]]」「[[親は親、子は子*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1960.php]]」も、この句と同じ向きのことを言う。
木にも萱にも心を置く(きにもかやにもこころをおく)
風で木がゆれたり萱がそよいだりしただけでも、敵がかくれていないかと身構えることから、ほんの小さな物ごとにもびくびくして、ちっとも落ち着けずにいる心のたとえ。 まわりの人や物ごとに、細かい点にまで気を配り、用心をおこたらないようすにも当てて使う。 「萱」は、すすきやすげなど、屋根をふく材料になる草を広く指す呼び名。「心を置く」は、気をゆるめずに用心すること。 「木にも草にも心を置く」とも言う。
口でけなして心で褒める(くちでけなしてこころでほめる)
口ではわざと手きびしいことを言っておきながら、胸の内ではその人の力やよさをしっかり認めていること。 「貶す」は、相手のおとった点をわざわざ並べて、悪く言うという意味。表向きは辛口でも、その裏には相手を大切に思って見守る温かい気持ちがひそむものだ、と人の心の奥をとらえている。 反対に、うわべは愛想よくふるまいながら腹の中では相手をおとしいれようとたくらむことは、[[口に蜜あり、腹に剣あり*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/960.php]]と言い表す。 漢字では「口で貶して心で褒める」、また「口で貶して心でほめる」とも書く。
口は心の門(くちはこころのもん)
胸の内にある考えや気持ちは、ふとした話の中に、つい出てしまいやすいものだ。だから、口を開く前に、言葉をよく選んで慎重に話すべきだと戒める。 「門」は家に出入りするための口。心の奥から外の世界へ、考えや気持ちが抜け出していく通り道として口を見ている。 同じく口を「門」にたとえ、うかつな言葉が災いを呼ぶと戒める句に、[[口は禍の門*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/311.php]]がある。
心合わざれば肝胆も楚越の如し(こころあわざればかんたんもそえつのごとし)
気持ちが通い合わなければ、身内や親しい仲間のようにごく近い間柄でも、見知らぬ他人と変わらないほど、互いの心は遠のいていく。 「肝胆」とは、体の中でじかに接して並ぶ二つの臓器、肝臓と、胆汁をためる胆のうのこと。「楚越」は中国の昔の国、楚と越のことで、遠く隔たった間柄を表すのに使われる。 『荘子』徳充符で、孔子が「違いのほうから見れば、肝臓と胆のうでさえ楚と越ほどに離れている」と述べるくだりが出どころである。同じくだりに基づく句に[[肝胆も楚越なり*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8220.php]]、四字熟語の[[肝胆楚越*https://yoji.jitenon.jp/yojie/2478]]がある。
心が移る(こころがうつる)
前から好ましく感じていた人や物事をはなれて、別のものへ関心や好意が向いていくこと。とくに恋人や夫婦などのあいだで、好きな相手がほかの人に変わるときに、よくこう言う。 昔の物語などには、ある人や物に気持ちが引きつけられ、思いを寄せ始めることを表した例が見られる。 似た言い方に[[心を移す*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6308.php]]があり、何かに引かれて気持ちが変わるという点では[[心が動く*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6290.php]]とも通じる。
心が揺れる(こころがゆれる)
どちらを選べばよいか決めかねて、考えがあれこれと行き来すること。迷いのせいで、心がしずまらないようすもさす。 物がゆらゆらと動いてひとところに定まらない姿を、なかなか決心のつかない心のありように重ねて言う。新しく心を引く物事が現れて、それまでの考えがぐらつくときにも言う。 別の形に「心が揺らぐ」がある。[[心が乱れる*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6296.php]]も近い意味をもつが、そちらは迷いそのものより、平静を失うことのほうが話の中心になる。
心ここに有らず(こころここにあらず)
心配ごとやほかの考えに心を取られていて、いま取り組んでいる事柄に気持ちを向けきれないようす。 相手の顔を見ていても話がまるで耳に残らない、大事な知らせを待つ間は何も手につかない、そうした状態のことである。 この句は、儒教の経典『礼記』のうち「大学」と呼ばれる篇にある文句を縮めたもの。その文は、心がよそへ行っていれば、見ても目に映らず、聞いても耳に届かず、食べても味が分からないと述べる。身を修めるにはまず心を正しく保つべきだ、という教えの中の言葉である。 その一節を続きまで言い表した形が[[心ここに在らざれば視れども見えず*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2479.php]]。ぼんやりした様子の近い言葉に[[上の空*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/8951.php]]がある。
心に描く(こころにえがく)
目に見えていない光景や物事を、頭の中で思いうかべること。こうなったらいいなと願う先々の姿を、期待を寄せて思いめぐらす場面でも、この句を用いる。 「描く」とあるのは、心の中で物の形やようすを組み立てていく働きを、絵筆を動かして絵を仕上げる作業に重ねて表したからだ。 なお、ふと頭に思いうかぶという意味の[[心に浮かぶ*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6298.php]]、将来の望みを思いえがくという意味の[[夢を描く*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/7209.php]]も、この句と重なり合う意味を持つ。
心に掛かる(こころにかかる)
ある事がらが気がかりで、忘れようとしても、ずっと頭の中に居すわる状態。気をもむ思いや不安が、胸のうちから去らずに残っているさまもさす。 「掛かる」は、物が何かに引っかかってとどまることをいい、思いが一つのことに引っかかったまま、どうにも外れずにいる姿を表したものだ。「心に懸かる」とも書く。 昔の文章では、人の情けや好意を頼りとする意味で用いた例がある。 これと似通った句には[[気に掛かる*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/5906.php]]がある。いっぽう[[心に掛ける*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/7850.php]]は、自分の意思で物事を気にとめておくことを表す。物事のほうが心に居残る「心に掛かる」とは、向きがちょうど反対だ。
心に適う(こころにかなう)
自分の望みや好みにしっくり合っていて、満足できること。気に入ること。 「適う」は「かなう」と読み、求めるものにうまく合致すること。 物事が自分の考えたとおりに運ぶ意味もあり、古今和歌集の歌にもその使い方が見える。 打ち消しの形の「心に適わない」は、気に入らない、または思いのままにならない気持ちを言う。 [[意に適う*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/5139.php]]も、心持ちに合って気に入るさまを言う。
心に染みる(こころにしみる)
目や耳にしたものごとや人の思いやりが、心の奥にまでじんわり入りこんで、深く感じ取られるさま。受けた思いが胸の内にしっかりと刻みこまれることも指す。 ここで言う「染みる」とは、水気が物の内側へ少しずつ広がるように、思いが心の中に行き渡ることのたとえ。表記は「心にしみる」「心に沁みる」も見られる。 [[肝に染みる*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/9222.php]]を使っても、ほぼ同じ思いを伝えられる。感動した出来事をいつまでも覚えているさまは[[心に残る*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6301.php]]で表す。
心の雲(こころのくも)
空をおおう雲のように、心にかかって気持ちを暗くする心配ごとや迷い。 雲が日の光をさえぎって辺りを暗くするように、気にかかる事柄が胸の内に広がり、心が重く曇った状態を表す。また、迷いにとらわれて、物事の正しい筋道を見失ってしまう心の状態にも用いる。 和歌にも古くから詠まれてきた言い方で、心配ごとや迷いがなくなることは「心の雲が晴れる」と表す。沈んだ気分が長く尾を引くさまを言う語に[[気が晴れない*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/9190.php]]がある。
心の闇(こころのやみ)
いろいろと思い悩むうちに心の中が暗やみに閉ざされたようになり、何が正しくて何がまちがっているのか、見当もつかずに迷うこと。 迷う心を、光の届かない闇になぞらえた表現。とくに、わが子をかわいく思う気持ちが強すぎて、親が冷静な考えを保てなくなる場合によく用いる。 平安時代の歌や物語にすでに見られる語。親が子のために迷う意味では[[子故の闇*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3135.php]]と同じで、恋のために迷う心をいう言葉には[[恋の闇*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1201.php]]がある。
心は小ならんことを欲し志は大ならんことを欲す(こころはしょうならんことをほっしこころざしはだいならんことをほっす)
物事を考えるときは細部まで見のがさずに気を配り、それと同時に、目指すところは高く大きく掲げておきたい、という心がまえを表す。 「心は小」は、注意や考えが細やかで、見落としのないこと。「志は大」は、思い描く目標が広く大きいこと。 国を治める者の心得を説いた『淮南子』(前漢の時代に編まれた書物)の主術訓の文句から。そこでは、心配ごとが起こる前から考えをめぐらし、災いに先回りして備え、小さな過ちにも用心して欲のままにふるまわないことを「心は小」とし、多くの国や風習の違う人々を分けへだてなく一つに包みこむことを「志は大」としている。 度胸と注意の取り合わせをいう句に[[胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3701.php]](四字熟語では[[胆大心小*https://yoji.jitenon.jp/yojii/4052]])があり、「心は小」の部分が共通する。
心広く体胖なり(こころひろくたいゆたかなり)
自分の行いに後ろめたいところがなければ、心は広々として落ち着き、その安らかさが体にも表れて、身のこなしまでゆったりとしてくるということ。 正しい行いを積んで身についた徳は、人目にふれない心の内だけにとどまらず、体の様子にまでおのずとにじみ出るものだとする考え方。「胖」は、のびのびとして安らかなようすを表す字。 中国の古典『大学』で、[[富は屋を潤し徳は身を潤す*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/7815.php]]と述べた一節に続く句。だから君子は、自分の思いに少しのうそもまじらないよう心がけるべきだ、と結んでいる。 同じ句を四字にした言葉に[[心広体胖*https://yoji.jitenon.jp/yojij/4540]]がある。
心ゆるめば財布もゆるむ(こころゆるめばさいふもゆるむ)
心の張りがゆるむと、お金の使い方まで締まりがなくなり、要らないものにまで財布を開きがちだ、ということ。 「財布もゆるむ」は、財布の紐がゆるむ、つまりお金を出すことへのためらいが薄れることを指す。心と財布の両方に「ゆるむ」を使い、気持ちのゆるみがそのまま財布のゆるみにつながると見ている。 ほっと一息ついたときや、楽しい気分で浮かれているときなどに、むだな買い物に走りやすいことについて使う。 反対に、お金の出し入れを引き締める意の語としては、[[財布の紐を締める*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/7790.php]]や[[口と財布は締めるが得*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/957.php]]がある。
心を奪う(こころをうばう)
物事や人のすばらしさが、相手の心を強くとらえて、すっかり夢中にさせること。 心をとらえる側を主語にして「名人の演技が観客の心を奪う」のように言うほか、「美しい景色に心を奪われる」のように、引きつけられた人の側から述べる受け身の言い方も、ふだんからよく耳にする。 受け身の形を一つの言葉として見出しにしたものに「[[心を奪われる*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/7853.php]]」がある。
心を込める(こころをこめる)
相手のためを思う心や偽りのない思いを、そのことに惜しまず注いで行うこと。 「心を込めて歌う」「心を込めて手紙を書く」の形で、後ろに動作を表す語を続け、その行いに思いがしっかり宿っていることを表す場合が多い。 「込」の字の代わりに「籠」を用いる書き方もある。熱意をもって物事を念入りに行う意の「[[丹精を込める*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/4702.php]]」も、思いを傾けて事に取り組むようすを表し、意味が近い。
心を澄ます(こころをすます)
心に浮かぶよこしまな思いや、気を散らすよけいな考えを払いのけて、心を静かで落ち着いたありさまにすること。 大事なことに取りかかる前に気持ちを一つにまとめるときや、物事を冷静に見つめて考えを深めようとする折に言う。 「澄ます」は、水などのにごりを取り去って透き通らせることも表す語で、ここでは心のにごりにあたる雑多な思いを取り払う意となる。音を聞き取ろうと注意を向ける「[[耳を澄ます*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6863.php]]」も同じ「澄ます」を使うが、こちらは心全体を静めることが中心となる。
心を摑む(こころをつかむ)
人の心を強く引き寄せて、こちらに好意や関心を向け続けるようにさせること。 「摑む」は手でしっかり握って放さないことを指し、人の気持ちを逃さずにとらえておくさまを、その手の動きで表した。話のうまさや人柄、作品の出来栄えなどで、聞き手や見る人を引きつけたときによく言う。 「[[心を捉える*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/9479.php]]」もほとんど同じ意味で通じ、夢中にさせる意の似た言い方には「[[心を奪う*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/9474.php]]」がある。
心を尽くす(こころをつくす)
人や物事のために、本気の思いで、できるだけのことをする意。気持ちと力のありったけを傾けて事に当たる姿を表す。 「心を尽くしてもてなす」「心を尽くして作品を仕上げる」のように、人に向けた行いにも、物を作るなどの仕事にも使う。 古い時代の文章では、さまざまに思い悩んで気をもむ、心をすり減らすといった意味にも使われた。思いを注いで事を行う意の「[[心を込める*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/9475.php]]」は意味が近い。言葉を尽くして考えを伝える意の「[[意を尽くす*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/5175.php]]」とは、尽くす中身が異なる。
心を捉える(こころをとらえる)
人の気持ちや関心を強く引きつけて、よそへ移らないようにしておくこと。 「捉える」は、ものをしっかりつかまえて手元にとどめておく意で、ここでは相手の思いがこちらに向いたまま、ほかへ離れていかない状態に保つことをいう。すぐれた演技や語り口、魅力のある人柄などに、多くの人が引き込まれる場面に用いる。 「[[心を摑む*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/9477.php]]」も、これとほぼ同じ意で通じる。
心を残す(こころをのこす)
その場を去ったあとや、ひとつの事を終えたあとまで、残してきたものへの気がかりが消えない、あるいは思いをなかなか断ち切れないでいる意。 「故郷に心を残して旅立つ」のように、別れや出発の場面で、あとに置いていく人や物事への思いについて使われやすい。 似た気持ちを表す名詞に「心残り」がある。未練のために立ち去りにくい気持ちを表す「[[後ろ髪を引かれる*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/476.php]]」も、よく似た心の動きを指す言葉である。
心を開く(こころをひらく)
相手への用心や遠慮をやめて、うちとけた気持ちで向き合う意。また、心の奥にしまってきた考えや思いを、隠さずに打ち明ける意でも使う。 「なかなか心を開かない」のような打ち消しの言い方は、警戒して相手と距離を取り続けるさまを表す。 似た意味の語には、胸の中の思いを残らず打ち明ける「[[胸襟を開く*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/2896.php]]」や、相手を信用して隔てなく接する「[[心を許す*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6316.php]]」などがある。
心を翻す(こころをひるがえす)
いったん決めた気持ちや決心を、急に反対のほうへ変えること。前から約束していたことや、心に固く決めていたことを、にわかに取りやめてしまうような場面でいう。 ほかに、これまでの心がまえを改めて、ものの考え方を根本から切り替えるという、改心に近い用い方もある。 考えが別のほうへ移ることを広くいう語に「[[気が変わる*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/9186.php]]」が、悪い心がけを改めることをいう語に「[[心を入れ替える*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/6305.php]]」がある。
心を虚しくする(こころをむなしくする)
自分の考えへのこだわりや思い込み、胸につかえた不満などをすべて手放して、落ち着いた素直な心持ちになる意。何ものにもとらわれず、無心になりきった心のあり方である。 「虚しくする」は、中身をなくしてからにすること。心の中を一度空っぽにして、相手の言葉や目の前の物事をそのまま受け止めようとする姿勢を表し、人の話を聞くときや話し合いに臨むときの心がまえとしても言う。 自分を捨ててへりくだる「[[己を虚しゅうす*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1825.php]]」や、四字熟語の「[[虚心坦懐*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1420]]」も、こだわりを捨てたすなおな心を表すところが、この語と通じ合う。
衣を染めんより心を染めよ(ころもをそめんよりこころをそめよ)
見た目を立派にすることに心を奪われるより、心をみがくことのほうにこそ力を注ぐべきだ、と教える句。外側ばかり整えて中身が追いつかない人に、反省をうながす言葉にもなる。 黒く染めた衣を着て姿だけ僧らしくしても、仏の道の修行に打ち込み、仏の心を育てなければ本物の僧とは呼べない、とする考えが下地にある。衣を染めることと心を染めることを並べ、内面を養うほうが大事だと示している。「衣」は僧の着る衣服、「染めんより」は「染めるよりも」ということ。 趣の近い句には、[[頭剃るより心を剃れ*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/1105.php]]と[[衣ばかりで和尚はできぬ*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/3146.php]]もある。
財布が軽けりゃ心が重い(さいふがかるけりゃこころがおもい)
持ち合わせのお金が少ないと、気持ちまで暗く重たくなること。 財布の中身が乏しいと、支払いや暮らしの先行きが気がかりになり、心が沈みがちになる。財布の軽さと心の重さを並べて、対比させた言い方。 もとは英語のことわざ「A light purse makes a heavy heart.」で、それを訳した言葉。同じことを裏から言った形で「財布重けりゃ心が軽い」とも言う。ドイツの詩人ゲーテの言葉として紹介する人もいる。ゲーテには、財布は乏しく心は病むとうたい出す詩がある。
七人の子は生すとも女に心許すな(しちにんのこはなすともおんなにこころゆるすな)
子どもを七人ももうけ、長い年月をともに暮らしてきた妻にさえ、大事な秘密は明かさずにおけということ。いちばん身近な相手からこそ思いがけない裏切りが起こりうるので、警戒をゆるめるなと説く。のちには、相手が女性なら誰であれ用心せよという意味にも広げて言われた。 遠い昔の中国の歌をまとめた『詩経』で、ある一編の前に添えられた解説に、七人もの子がいる母親でさえ家にとどまれず、よそへ嫁ごうとしたとあるのに由来する。 女性を信用できない者と決めつける、昔の考え方に立った言葉なので、使う場面には注意が要る。
